安岡正篤(まさひろ)氏によれば、人物として大成するには、この三識を鍛えることが大切だということです。経営者の方であれば、ご自身が三識を鍛えると同時に、部下を育てるとき、または抜擢するときに、参考に出来ると思います。
安岡正篤(まさひろ)氏とは?
昭和の時代、多くの政治家や財界人から「心の師」と仰がれた人物であり、吉田茂氏、中曽根康弘氏に至るまで、歴代総理の多くが師事しました。また、「平成」の元号の発案者であるとされています。
三識については、山口勝朗著『安岡正篤に学ぶ人間学』に以下のように書かれています。
知識とは理解と記憶力の問題で、本を読んだり、お話を聞いたりすれば知ることのできる大脳皮質の作用によるものです。
知識は、その人の人格や体験あるいは直観を通じて見識となります。
見識は現実の複雑な事態に直面した場合、いかに判断するかという判断力の問題だと思います。
胆識は肝っ玉を伴った実践的判断力とでも言うべきものです。
困難な現実の事態にぶつかった場合、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力が胆識ではないかと思います。-引用:致知出版社
ちなみに、識という字は、心という意味合いですので、
知識・・・知の心
見識・・・見の心
胆識・・・胆の心
と言えるでしょう。
知識とは?
知識は最も分かりやすいと思います。
学校で習う学問的知識もあれば、職業上に必要となる実践的知識、または教養や文化などの知識など、様々な知識があります。知識は、この次の見識を鍛えるにあたり、欠かせないものです。知識がいくらあっても実践には役立たない、余計な知識は邪魔になるだけ、などと言われることもありますが、そんなことはありません。膨大な知識を蓄えているからこそ、その中から大切なことを見分けることが出来(見識)、実行する(胆識)ために必要な手順を把握したり、リスクを回避したりできるわけです。
また、一流の棋士は、過去の膨大な数の戦局の盤面を知識として保持しているともいわれています。それによって、実際の対戦において、様々な打ち手をシミュレーションすることが出来るわけです。
知識を得るには?
経営者、または仕事を行う人にとって、知識には以下のようなものがあると考えられます。これらを幅広く、かつ深く学ぶことで、次の見識への道を開くことが出来るでしょう。
自己成長のための学習によって得られる知識
たとえば、人間力を高めること、時間の使い方、人間関係などの知識がここに当てはまります。
職業的専門能力を高めるための学習によって得られる知識
技術者なら技術、法務なら法律、経理なら会計や税務、営業ならコミュニケーションやプレゼンテーションなどの専門知識です。
教養を学習することによって得られる知識
歴史や文化などがここに当てはまります。
見識とは?
見識とは、自分の経験や培われた価値観によって、この場面ではこうする、というように判断の基準があることを意味しています。
見識の「見」という字は、「人」という字と「目」という字が重なっており、目立つものが目に留まる、という意味もあるとされています。
つまり、膨大な知識が蓄積されている中で、その局面局面において、どこに注目すべきか?という視点を持つことが出来ると解釈できるかもしれません。それによって、複雑な事象に直面しても、判断が可能になるわけです。
知識と見識を兼ね備えた人は、物事を幅広く見ることができ、多様な角度から問題を考えることができるとされます。
安岡正篤氏は、知識と見識について以下のように語っています
(内憂外患)の時局になると単なる知識ではだめでありまして、すべてに見識というものが必要です。そして見識が出来ると自ら勇気が生じてまいります。しかし、その見識を養うには、われわれの生活、感情、情操、学問、思想、教養といったものを雑駁、煩瑣にわたらせないで、本を務め、本を立てることが大切であります。
-「人物を修める」
本を務めるとは、人間としての基本をしっかりさせるということです。見識を養うには、本を務める=人間としての基本をしっかりさせるということになります。
では人間としての基本とは何か?これは人間力や人間性などとも言い換えられると思いますが、安岡正篤氏がいう”徳性”のことと考えてみましょう。
徳性とは、礼、敬、愛などの心のことです。
つまり、様々な局面において、正しい判断が出来るようになるためには、徳性を磨き、見識を高めることが大切である、ということになるでしょう。
見識を養うには?
見識を養うには、たとえば、偉大な師に師事し、局面局面での判断を学ぶ、歴史の偉人の伝記を読み、自分に置き換えて考える、自ら日々の生活を内省し、価値観を明確にしていく、などが考えられるでしょう。
胆識とは?
胆識とは、実際に物事を行うことです。胆力の伴った見識と言えます。
三識のうち、一般には知識が最も浅いものであり、胆識が最も深く重要なものである、という捉え方がされるようです。しかし、様々な「知識」を得ることで物事の選択肢が広がり、その中から正しい選択肢を選ぶことが出来るのが「見識」、そして、選んだ選択肢を実行に移し、やり遂げられるのが「胆識」と考えるならば、どれが欠けても人物としては不十分だと言えます。
胆識を鍛えるには?
胆識には、実行するための勇気や困難に突き当たったときにもめげずに前に進めること、最後までやり切れる努力を怠らないこと、などが含まれるでしょう。こういった力は何より、”責任感を伴った経験”が必要だと思います。経験だけでは、単に”仕事をこなした”という程度になりかねないため、責任感が伴っていることが大切です。
個人的には、いかに大きな責任感を持つことが出来るかどうかが、胆識を決めるのではないかと思っています。社長であれば、自分の経営に社員全員の生活が懸かっていることになりますので、自然と責任感は高まるはずです。
部下に仕事を任せる際にも、その仕事の成否に、如何に多くの人がかかわっていることを認識させることが出来るかどうかが大切ではないでしょうか。
三識(知識、見識、胆識)で部下の成長具合を測る
最後に、三識(知識、見識、胆識)をもとに、部下の成長具合を測る方法について見てみましょう。
当然ながら、三識を全て身に付けているのが、優れた部下ということになります。それをどう見分けるか?
知識がある人
たとえば、何かを聞けばすぐに答えが出てくる人は「知識」があると考えられます。日々勉強し、本を読み、業界の情報などにも詳しい人が「知識」がある部下です。
一方、「では君はどうしたいんだ?どう考えているんだ?」と聞いたときに、「それは自分には分かりません。こういう方法もあるし、こういう方法もあります」というのでは、見識まで至らず、知識にとどまっていることが分かります。
つまり、知識は持っているが、その中から、大切なことを見分ける力が無いわけです。
見識がある人
逆に、「君はどうしたいんだ?」と問われたときに、「この方法が良いと思います。この選択肢が良いと思います」と答えられる人は、自分の見識を持っていると考えられます。このような部下はよりレベルが高く、仕事を任せるに値するかも知れません。
しかし、それだけではまだ判断できません。さらに胆識を見極める必要があります。
「その方法が良いのであれば、君がやってくれ」と伝えたとき、「いえ、私にはとてもできません」というのであれば、見識はあるが、胆識が無い、ということになります。
胆識がある人
逆に、「もちろん、私がやらせていただきます」というのであれば、自分が実行するという前提の見識であり、胆識を持っていると判断できます。
このように、日々のやり取りを通じて、それぞれの部下の三識を知ることが出来ます。三識を身に付けた人にはどんどん仕事を任せ、そこまで至っていない人には、三識のうち、足りない部分を鍛えてあげる、という育成方法が考えられるでしょう。
というわけで今日は、三識(知識、見識、胆識)についてご紹介しました。ぜひご参考にされてください。