なぜ仕組み化を追求するのか
毎朝、誰よりも早く出社する。部下に任せようとしても、結局は自分が処理する。休みの日にもスマホが手放せない。気づけば数年が経っていた。そんな感覚を、一度でも持ったことはないでしょうか。
それはあなたの能力が足りないからではありません。むしろ逆です。あなたが有能であるがゆえに、会社があなたを中心に回るように出来上がってしまっている。その状態が、多くの経営者を静かに消耗させています。
社長が現場を離れても会社が回る「経営の型」をつくることは、単なる効率化ではありません。社長に、未来を考える時間と、一人の人間としての余白を手渡すことだと考えています。
経営という仕事には、免許がない
医師も、弁護士も、車のドライバーも、他人の命や生活に関わる仕事には必ず免許があります。体系的に学び、技術を証明した人だけが、その仕事に就くことを許されます。
では、社員とその家族の人生を預かる社長という仕事はどうでしょうか。免許も、教習所もありません。多くの社長が、何の体系的な訓練も受けないまま、何十人もの生活を乗せて走り始めています。
うまくいかないのは、社長の能力や覚悟が足りないからではありません。学ぶべき型が、そもそも存在しなかったからです。
私たちは、「経営センス」や「社長の勘」という言葉でブラックボックスにされてきたものを分解し、誰がやっても成果が出る型を作ります。特別な人の特別な能力でしか成り立たないと思われてきた経営を、普通の人が正しい型の中で成果を出せる技術に変える。それが出発点です。
「人を型にはめるのか」という疑問
こう書くと、決まって同じ疑問が返ってきます。
経営を型にするというのは、結局、人を型にはめることではないのか。誰がやっても同じ結果が出る会社とは、誰でもかまわない会社ということではないのか。人を部品のように扱う考え方ではないのか、と。
まっとうな疑問だと思います。私たちの答えは、こうです。
仕組みは、いちばん下に置く
私たちが仕組み化を進めるとき、順番は決まっています。いちばん上にあるのは、社長自身がどんな人生を送りたいのかという問いです。その下に、会社として何を目指すのかという目標が来て、そのために必要な組織、そこで働く人、と続きます。仕組みが出てくるのは、この一番最後です。
仕組みは目的ではなく、いちばん下にある手段です。上には必ず、人の生きる目的がある。先に仕組みから入ると、何のための仕組みなのかが誰にも伝わらず、ただのマニュアル整備に終わります。
だから「人に依存しない会社」というのは、「人を軽んじる会社」という意味ではありません。社長ひとりの気まぐれや、その日の機嫌や、勘に、社員の人生と会社の運命を預けない、という意味です。
機械のように働いているのは、誰か
もっと腹に落ちる言い方をしてみます。
仕組みのない会社では、人間のほうが機械のように働かされています。毎朝同じトラブルに反応し、同じ判断をその場しのぎで繰り返し、夜には消耗しきっている。考える余裕などありません。
逆に、機械にできることを仕組みに預けると、人間はようやく人間らしいことに手が回るようになります。判断すること、新しいものを作ること、人と関係を結ぶこと、育つこと。
つまり仕組み化とは、人から仕事を奪う作業ではなく、人から機械的な部分を引き剥がす作業なのです。
手順書を一枚書くと、何が変わるか
たとえば、いま自分がやっている仕事を、他人がそのとおりにできるように書く。それだけの動作です。ところが書き終えた瞬間に、「自分がやる仕事」は「誰かがやれる仕事」に変わっています。機械的に繰り返していた部分が紙の上に移り、本人の手には、判断すること、作ること、人と関わることが残る。仕組み化の最初の一歩は、この一枚から始まります。
顧客の側から見ると、もっと単純になる
ここまでは働く側から見た話です。顧客の側から見ると、話はもっと単純です。
社長やベテラン頼みの会社では、今日は機嫌が悪いから、体調が悪いから、という理由で品質にムラが出ます。それは顧客に仕えているのではなく、自分の都合に仕えている状態です。
いつでも、誰がやっても、約束した価値をムラなく届ける。仕組みとは、顧客への約束を守るための装置です。効率化やコスト削減として語られがちな仕組み化を一段上に引き上げるのは、この視点だと思います。
型を守れ、と、型を変えろ、は矛盾しないのか
仕組み化には、一見ぶつかる二つの要請があります。
- ひとつは、決められた型どおりに仕事をすること。これは、オレ流でやりたい気持ちをいったん脇に置く作業になります。地味ですが、ここを飛ばすと型は身につきません。
- もうひとつは、型を良くしていくこと。より良いやり方を試し、結果を数字で確かめ、良かったものを新しい標準にする。現場の全員が、仕組みを作り変える側に立つということです。
並べるとぶつかりますが、順序の問題として整理すれば矛盾しません。まず型を身につける。身につけたからこそ、型の限界が自分で見える。そこで初めて、改善する側に回る。守破離そのものです。
最初から自分流でやれば、我流に戻るだけです。逆に、型を身につけたあとも変える権限がなければ、型は牢獄になります。
私たちは、社員が外部の研修ではなく日々の仕事そのものを通じて一人前になっていく会社を、「学校のような会社」と呼んでいます。それが成り立つのも、この順序があるからです。教えるべき型がなければ、何ができたら一人前なのかを決められません。型があるから、身につけたという実感も、次に何を良くするかという課題も生まれるのです。
仕組み化が冷たくなる、三つの条件
実務で本当に役に立つのは、これが崩れる条件のほうです。仕組み化に冷たさを感じるとき、たいてい次のどれかが外れています。
- 仕組みが、人の目的の下に置かれていない。人生の目的や会社の目標を飛ばして仕組みから入ると、ただのマニュアル化に堕ちます。
- 型を身につける前に、改善させている。基準を持たない人が仕組みをいじれば、我流に戻ります。
- 型を身につけたあとも、変えさせない。仕組みを作り変える側に立てなければ、社員は与えられた型に従うだけの存在になります。
自社の仕組み化が健全かどうかは、この三点で診断できます。
仕組みは、誰が作るのか
もう一つ、決定的に大事なことがあります。仕組みは、外から導入するものではありません。
どこかの汎用の型を上から入れれば、現場は反発します。「なぜ急に管理が厳しくなったのか」「今までの仕事は間違っていたのか」。反発は言葉に出ることもあれば、黙って辞めていく形で出ることもあります。辞めていくのは往々にして、自分で考えて動いていた優秀な社員からです。私たちは、そうやって組織が壊れかけた会社の話を、何度も聞いてきました。
仕組みは、社長が方向を定め、その会社の社員が自分たちの手で作るものです。自分たちで作ったものだから、反発が起きず、根づく。「誰がやっても同じ結果が出る」と「社員が自分たちで作る」は、矛盾するどころか、後者がなければ前者は成立しません。
承継のときに失われていくもの
親から会社を継いだ二代目、三代目の社長の多くが、静かな困難に直面しています。先代が現役の間は機能していた会社が、承継を境に揺らぎ始める。それは後継者の力量の問題ではなく、先代の頭の中にあった勘やコツが、形のないまま引き継がれてしまうからです。
創業者の想いや勝ちパターンを、仕組みという形ある資産に変えておく。それによって後継者が迷わず舵を取れる状態を作る。優れた技術や文化を持ちながら承継のタイミングで失われていく会社を減らすために、できることがここにあります。
2050年までに、日本中に増やしたい会社
特別な才能を持つ一部の人だけが成果を出せる会社は、長続きしません。多くの会社が、言われたことをやれという文化の中で、社員の可能性を知らないうちに狭めています。
仕組みがある会社では、普通の人が安心して働き、着実に成果を上げ、顧客に本物の価値を届けられるようになります。それが積み重なったとき、社員一人ひとりが自分の仕事には意味があると実感できる職場が生まれます。
経営のノウハウを、一部の人だけの特権にしておくのではなく、誰もが使える水道水のように普及させること。私個人のコンサルティング時間を削ってでも、この型を広く届けられる仕組みを作ること。私がいなくても成長し続ける組織を自分たちで証明することで、一人の人間に依存しない経営のあり方を示したい。それが、仕組み化を追求し続ける根本にある意志です。
結び
整理すると、こうなります。
いちばん上に、社長自身の人生の目的がある。その下に、顧客に何を約束するかという夢がある。この二つを、いつでも、誰がやっても、ムラなく届けるための器が仕組みです。その仕組みは、社長が方向を定め、社員が自分たちの手で作る。作った人は、まず型を身につけ、身につけたからこそ欠陥が見え、やがて改善する側に回る。ここまで来て初めて、会社は学校になります。
会社をよくしたい、自由に生きたいという個人的な衝動から始まったこの仕事は、いま、社会のインフラを創るという目標へ育ちました。経営を、才能ある一人の天才だけのものではなく、誰もが幸せに挑戦できる技術へ。それが、変わらない動機です。
この文章で述べた夢を、私たちは理念体系(ドリーム/ビジョン/コアバリュー)として掲げています。その夢をどうやって実現するのか、私たちの言う仕組み化とは何かは、会社概要で述べています。