勝負師 孫正義の冒険

『勝負師  孫正義の冒険』から読み解いた、常識を破壊する「賭け」の本質



清水直樹
孫正義という稀代の勝負師、その飽くなき野望、壮絶な失敗、そして未来への壮大な賭け。『勝負師(ギャンブラー) 孫正義の冒険』は、日本人があまり知らない彼の光と影を明確に描いています。

なぜ孫正義という男は、あれほどまでに巨大な「賭け」を続けられるのか。その狂気にも似た情熱の源泉は何なのか。その答えがライオネル・バーバーによる一冊の評伝、『勝負師(ギャンブラー) 孫正義の冒険』に書かれています。私達は孫正義という男を日本のメディアを通じてしか理解していません。しかし実際のところ、孫正義の今の舞台は海外であり、そして彼がスタートした地点も海外でした。 この本は、そんな私たちが知らない彼の素性を明らかにするという点で、非常に面白い内容です。

勝負師 孫正義

この記事では、私が本書を読み解く中で特に心を揺さぶられたポイントを軸に、孫正義という規格外の「ギャンブラー」の実像と、私たちがそこから何を学び取れるのかを、私自身の視点から解説していきたいと思います。

すべての原点、アウトサイダーの「渇望」

人の行動を突き動かす最も強い力は、しばしばその人の原体験にあります。本書を読んで私がまず衝撃を受けたのは、孫正義の常軌を逸したリスクテイクの根源が、彼の「アウトサイダー」としての生い立ちに深く根差しているという事実でした。

「失われた地位」と差別の記憶

彼の物語は、在日韓国人として日本の「韓国人スラム」で育った幼少期から始まります。かつては朝鮮の支配階級「両班」であったという家柄の誇りと、目の前にある貧困と差別という現実。この強烈なコントラストが、「失われた地位を取り戻したい」という、彼の生涯を貫く承認への渇望を形成します。

本書が指摘する「孫正義ほど大きな『チップ』(恨みや反骨心)を肩に乗せている人物はいない」という一節は、彼の本質を鋭く突いています。彼の野望は、単に金持ちになりたいというレベルのものではありません。それは、自分を不当に評価し、疎外してきた社会全体を見返してやりたいという、強迫観念にも似たエネルギーなのです。経営者として、この種のハングリー精神が持つ爆発的な力を痛感させられました。

「失うものはない」という最強の武器

そして、私が最も重要だと感じたのが、彼のこの言葉です。

「スラムで無一文で生まれれば、すべてを失うことは相対的なものだ。振り出しに戻るだけだ」

ドットコムバブルの崩壊で資産の99%を失うという、常人であれば再起不能な経験をしても、彼が立ち上がれた理由がここにあります。彼にとって「失敗」とは、終わりではなく「原点回帰」。この精神構造こそが、彼を単なるビジネスマンではなく、何度でも蘇る「ギャンブラー」たらしめているのです。

これは、安定した環境で育ち、失うことを恐れる我々にとって、非常に重要な視点を与えてくれます。私たちは、無意識のうちに「失敗できない」という前提で物事を考えていないでしょうか。孫正義の生き様は、リスクを取ることの本質的な意味を、私たちに問い直させるのです。

ソフトウェア流通の覇者へ――知られざる創業期と私の記憶

今でこそ投資会社のイメージが強いソフトバンクですが、その原点、そして最初の成功がどこにあったかをご存知でしょうか。実は、あまり知られていませんが、ソフトバンクは出版事業とPCソフトウェアの流通業からスタートした会社です。

ソフトウェア時代に備えた事業

孫正義は、来るべきパソコンの時代を確信していました。特に、ビル・ゲイツ率いるマイクロソフトの成功を目の当たりにし、これからはハードウェアではなくソフトウェアが価値を生む時代になると考えたのです。そして彼は、日本のソフトウェア流通市場を完全に牛耳る、という野望を抱きます。

この話は、私自身のキャリアの原点とも重なります。当時、私はシリコンバレーに本社を置く外資系ベンチャー企業の日本法人でインターンをしていました。私たちの会社が開発したソフトウェアを日本で広めるためには、流通網を押さえる必要があり、その最大の販路こそが、まさに孫正義率いるソフトバンクだったのです。

実際に営業でソフトバンクに足を運んだ時のことは、今でも覚えています。当時のソフトバンクは、すでにソフトウェア流通の分野では圧倒的な「覇者」でした。オフィスには活気があり、若く優秀な社員たちが自信に満ちた表情で働いていました。彼らは、自分たちが日本のPC業界の未来を創っているのだという、強い自負を持っていたように思います。一介のインターンである私の提案に、彼らが真剣に耳を傾けてくれたかどうかは定かではありませんが、あの場所には間違いなく「時代の中心」というべき熱気が渦巻いていました。

このソフトウェア流通業での成功が、ソフトバンクに莫大な資金と、IT業界における確固たる地位をもたらしました。そして、その成功体験と自信が、彼を次の、さらに巨大な賭けへと向かわせるのです。

勝利の方程式「ヤフー・フォーミュラ」に潜む狂気

ソフトウェア流通で国内を制した孫正義の目は、次なる主戦場、インターネットへと向けられます。ここから、彼の代名詞ともいえる、常識破りの拡大戦略「ヤフー・フォーミュラ」が生まれるのです。私がこのパートを読んで感じたのは、彼の戦略の合理性以上に、その実行力に宿る「狂気」でした。

交渉事を支配する「必殺技」

1995年、まだ黎明期にあったヤフーへの投資を決めた際、彼は常識外れの行動に出ます。他のVCが躊躇する高値で投資を提案し、さらに日本法人の設立交渉が難航すると、ライバル企業に資金提供をちらつかせてヤフーを屈服させる。この一連の流れは、単なる交渉術ではありません。目的のためには手段を選ばず、相手の心理を徹底的に読み、力でねじ伏せるという、彼の執念の現れです。

この「ヤフー・フォーミュラ」――米国の最先端ビジネスを見つけ、巨額投資で強引に主導権を握り、日本で上場させて次の投資へ、というサイクル――は、彼の戦い方の原型となりました。私がここに見たのは、アウトサイダーであるがゆえに、既存のルールや慣習に一切縛られない、恐るべき自由さでした。

ルールの中からではなく、ルールの外から戦う

この戦略を支えたのが、日本の超低金利という「地の利」でした。彼は、シリコンバレーの投資家とは異なる資本(安価な日本の資金)をレバレッジとして利用し、誰も真似できない土俵を作り上げたのです。

これは、中小企業の経営者である私たちにとっても示唆に富んでいます。大手と同じ土俵で戦うのではなく、自社だけが持つ独自の強みや、誰も気づいていない外部環境の歪みを「レバレッジ」として活用することで、戦局を有利に変えられる可能性がある。孫正義の初期の戦い方は、そのための過激ながらも有効なケーススタディとして読むことができます。

天国と地獄から学ぶ、直感と回復の本質

孫正義のキャリアは、まさにジェットコースターです。その最大の振れ幅を象徴するのが、アリババへの投資という「史上最高の成功」と、その直後に訪れた「資産の99%を失う」というドットコムバブルの崩壊でした。

この時代を語る時、私には忘れられない記憶があります。1990年代の後半、私がまだ大学生だった頃のことです。当時はインターネットビジネスの黎明期で、後に「第一次ネットバブル」と呼ばれる熱狂の渦中にありました。渋谷は「ビットバレー」と呼ばれ、一攫千金を夢見る若い起業家たちが集う聖地でした。今や大企業となったサイバーエージェントですら、当時はまだ無数のネットベンチャーの一つに過ぎなかった時代です。

ある時、学生団体が主催した数千人規模のイベントに参加しました。その基調講演に呼ばれたのが、孫正義その人でした。当時の彼は、他のネットベンチャーとはすでに比較にならない、一つ飛び抜けた存在感を放っていました。壇上に現れた彼は、悪びれる様子もなくこう言ったのです。

孫正義の講演

「ヨーロッパからプライベートジェットでやってきました」。


その一言で、会場に集まった野心的な若者たちの間に、どよめきと憧れの入り混じった熱気が充満したのを、今でも鮮明に覚えています。

あの熱狂の頂点で、彼はまさに時代の寵児でした。そして、その頂点の直前、彼はキャリアにおける最大の、そして「史上最高の投資」と呼ばれる決断を下します。1999年、当時まだ無名だった中国のEコマース企業「アリババ」への2000万ドルの投資です。

理屈を超えた「動物的な匂い」

私がアリババ投資の逸話で心を掴まれたのは、その決定が財務分析などではなく、創業者ジャック・マーの「動物的な匂い」という、極めて属人的な直感に基づいていた点です。

「彼の目の輝きは飢えていた。私と同じ、負け犬の『動物的な匂い』がした」

自分と同じアウトサイダーの匂いを嗅ぎ取り、理屈を超えて賭ける。これは、データとロジックが重視される現代の経営において、忘れ去られがちな「直感」の重要性を思い出させてくれます。もちろん、直感だけでは無謀ですが、膨大な情報と経験に裏打ちされた直感は、時にどんな精緻な分析よりも正しい答えを導き出すことがあるのです。

絶望の淵でこそ、人の真価は問われる

そして、バブル崩壊。私が目の当たりにしたあの熱狂は、蜃気楼のように消え去りました。孫正義は資産の99%を失うという想像を絶する事態に直面します。しかし、彼の真骨頂はここからです。「必ず復活する」という言葉。成功している時に何を言うかではなく、絶望の淵で何を思い、どう行動するか。そこにこそ、その人間の、そしてその企業の真の強さが現れる。このエピソードは、順風満帆な時こそ、来るべき冬の時代に備える必要性を教えてくれる、経営者にとっての痛烈な教訓です。

キングメーカーへの変身と「iPhone」という逆転劇

投資家から「オペレーター」へ。ドットコムバブル崩壊後の彼の再発明は、私にとって本書のハイライトの一つでした。特に、iPhoneの日本独占販売権を巡る物語は、彼の多面的な能力が見事に結実した、圧巻のビジネスドラマです。

未来を「手描き」で見せる力

iPhone発表の2年も前に、自ら描いたスケッチを持ってスティーブ・ジョブズに会いに行く。この行動力と先見性には、ただただ脱帽するしかありません。未来は予測するものではなく、自ら描き、他者を巻き込みながら創造していくものだという、強い意志を感じます。

そして、正式な契約書もないまま「握手」だけで独占権を確保する交渉力。これは、彼が単なる金の亡者ではなく、ビジョンを共有し、相手の心を動かすことができる、優れたコミュニケーターであることを示しています。この「キングメーカー」としての側面は、彼がただのギャンブラーではないことを証明しています。

この成功譚は、私たちにビジョンの重要性を再認識させます。自社がどこへ向かっているのか、どんな未来を実現したいのか。それを熱く、具体的に語れるかどうかが、周囲を巻き込むための鍵となるのです。

ビジョン・ファンドの功罪――傲慢という名の罠

10兆円ファンドという、前代未聞の構想。ビジョン・ファンドは、孫正義の野望の頂点であり、同時に彼の最大の欠点を露呈させた壮大な実験でした。

以下は、ビジョン・ファンドの投資先の一例です。

 
会社名 セクター 総投資額(推定、10億ドル) 掲げられたビジョン 結果 主な論争/書籍からの注記
WeWork 不動産/テクノロジー 4.4以上 AIで職場を革命する IPO失敗、破産、巨額の評価損 ニューマンのリーダーシップ、緩いガバナンス
Uber 交通 多額 IPO成功 ブリッツスケーリング戦略の一環
DoorDash 食品配達 多額 IPO成功
Slack 企業向けソフトウェア 多額 成功
Wag ペットテクノロジー 多額 失敗(「壮大な低迷」)
Oyo ホスピタリティ 多額 重大な損失
Katerra 建設テクノロジー 多額 重大な損失
Greensill Capital フィンテック 多額 重大な損失
Didi 交通 多額 中国の規制強化による失速
Coupang Eコマース 多額 成功

「WeWork」が教える、カリスマへの盲信の危険性

本書が詳述するWeWorkへの投資と、その壮絶な失敗の物語。孫正義は、WeWork創業者アダム・ニューマンのカリスマ性に心酔するあまり、その経営の危うさを見過ごしてしまいました。

これは、規模の大小を問わず、あらゆる組織に潜む罠です。魅力的なリーダーのビジョンに惹かれるあまり、客観的な評価や健全な批判精神が失われてしまう。有望な創業者を見抜く「目利き」の才能が、逆にその創業者を「盲信」する弱点へと転化してしまう。このWeWorkの教訓は、すべてのリーダーが自戒を込めて胸に刻むべき物語だと感じます。

300年後の未来を見据える男の「最後の賭け」

数々の成功と、それ以上の失敗。それでもなお、彼がリスクを取り続けるのはなぜか。その答えは、彼の視線が、私たちの想像を遥かに超えた未来に向けられているからに他なりません。

「300年続く1兆ドル企業を創る」

彼が掲げる「300年計画」と、その中核にあるAGI(汎用人工知能)への全面的な賭け。これまでの事業はすべて、この壮大なビジョンのための「準備運動」に過ぎなかったと彼は言います。

このスケール感は、もはや現実離れしているように聞こえるかもしれません。しかし、私はここに、彼の行動原理のすべてが集約されているように感じました。彼は、目先の利益や評価のためではなく、自らが信じる「未来」を実現するために戦っている。その純粋な情熱こそが、彼を何度でも立ち上がらせ、常識外れの「賭け」へと駆り立てるのです。

結論:孫正義とは何者か――破壊者か、偽りの預言者か

本書では孫正義という人物に対する二つの、全く相容れない評価が突きつけられます。彼はいったい何者なのでしょうか。

先見性のある破壊者

一方では、彼は紛れもなく「先見性のある破壊者」です。テクノロジーの大きな波を見事に捉え、何百ものスタートアップに資金を供給し、多くの人々を富ませ、そして私たちのライフスタイルそのものを世界中で変革してきた「非常に影響力のある投資家」であった、という見方です

偽りの預言者

しかし、もう一方では、よりシニカルな「偽りの預言者」という評価も存在します 。彼は何かをゼロから生み出す「建設者」ではなく、「他人のアイデアを取引する商人」に過ぎないというのです 。日本のビジネスをアメリカ化し、結局は歴史に名を残す「もう一人の偽りの技術預言者」として記憶されるだけだろう、という厳しい見方です

あなたの目には、何が映るか

結局のところ、孫正義という男は、簡単には定義できない謎めいた存在として私たちの前に立ち続けます。

彼自身が、先見の明を持つミスター・スポックと、破壊的なチンギス・ハンの両方の側面を自分は持っている、と語るように 。あるいは、ナポレオンのように自らの運命を信じ、常に次の巨大な獲物を追い求める姿に、その本質が現れているのかもしれません

本書は、そのエピローグで彼を象徴的にこう要約しています。この記事の最後に、その言葉を引用して締めくくりとしましょう。

「虚勢、莫大な富、そして明らかな無駄遣いの傍らには、勇気、創造性、そして変化をもたらす能力が存在する」


破壊者か、預言者か。その答えは、見る人の目に委ねられています。そして、この矛盾に満ちた巨大な存在は、これからも私たちに問いかけ続けるのです。未来を信じ、変化を起こすとは、一体どういうことなのか、と。

孫正義の浮き沈みの激しいキャリア:主要な賭けのサイクル

本書を参考に孫正義のキャリアについてまとめてみます。

 
時代/事業 期間 主要な行動/投資 報告された成功の頂点 その後の暴落/失敗 「ギャンブラー」としての核心的洞察
ドットコムブーム 1995-2000 ヤフー!への投資 世界一の富豪(一時的) 700億ドルの損失、資産の99%を失う 投機的資産への高いレバレッジ
通信事業への再発明 2001-2008 ボーダフォン日本買収、iPhone独占契約 日本No.1の携帯電話事業者となる GFCの危機を乗り切る オペレーターとしての再発明、先見性のある取引
ビジョン・ファンドI 2017-2020 1000億ドルのファンド設立、WeWorkへの投資 VC業界の前例のない破壊 WeWorkの大失敗、COVIDによる暴落 傲慢、ブリッツスケーリング戦略の欠陥
AIへの転換 2020-現在 アーム買収、AGIへの集中 アームの評価額が300億ドルから1400億ドルに急騰 未定 技術の未来への究極の賭け

あなたは、何を「賭け」ますか?

本書を読み終えて、私の心に残ったのは、孫正義という男への評価ではありません。それは、彼がその生涯を通じて投げかけ続ける、私たち自身への問いです。

あなたは、自分の仕事や人生において、何を信じ、何を賭けていますか?

彼の生き様は、あまりに極端で、誰にでも真似できるものではありません。しかし、その根底にある「常識を疑い、未来を信じ、リスクを恐れずに行動する」という姿勢は、この不確実な時代を生きる私たちすべてにとって、強力なインスピレーションとなるはずです。

この『勝負師(ギャンブラー) 孫正義の冒険』は、単なるビジネス書ではなく、自らの限界を突破するための思考の「起爆剤」となる一冊です。ぜひ、本書を手に取り、この規格外の男が仕掛ける壮大な問いと、あなた自身の心で向き合ってみてください。


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