「来期の目標は、売上10%アップでいこう」
経営者の口からそんな言葉が出ると、社内にはうなずきや安堵の表情が広がります。派手すぎず、無理のない目標に聞こえるからです。
けれど、少し立ち止まって考えてみると、不思議な感覚に襲われるのです。
たしかに10%の成長は現実的かもしれません。けれど、それを実現するために必要な努力は決して軽くはない。今よりももう一歩、営業件数を増やす。原価をもう少し下げる。生産性をもう少し高める。ミスを減らす。無駄を削る。毎年、少しずつ、少しずつ、積み重ねていく。
しかし、ふとこんな問いが頭をよぎります。
「この10%を、あと何年繰り返せば、人生が大きく変わるような実感を得られるのだろうか?」
努力の積み重ねはもちろん大切です。けれど、その努力が「終わりのない改良作業」に見えてしまったとき、人は息苦しさを感じるのではないでしょうか。
もしあなたが、そんな感覚を一度でも覚えたことがあるのなら、この先を読み進めてください。
これは、精神論でも、成功者の武勇伝でもありません。
それは、Googleを生み出し、イーロン・マスクが火星を目指す背景にある思考法——「10倍の飛躍を前提に考える」やり方に迫る話です。
そして読み終えたとき、なぜ「10%の改善」よりも「10倍の発想」のほうが、かえって現実的で、時に“楽”にすら感じられるのか。その逆説的な真実に、あなた自身の言葉で気づくかもしれません。
「10X思考」の世界へようこそ
「10X思考?ああ、知っていますよ。要は『10倍頑張れ』ってことでしょう?気合と根性の話ですよね」
そう思ったあなた、半分正解で、そして致命的に間違っています。
確かに、世の中には「10X」の御旗のもと、圧倒的な行動量を説くマッチョな教えが存在します。その代表格が、不動産王グラント・カードンが提唱する「10Xルール」です。彼の哲学は明快です。「望む目標の10倍の目標を立て、その達成に必要だと思う10倍の行動を取れ!」。
これはこれで、一つの真理です。平凡な努力からは、平凡な結果しか生まれません。彼のハッスル・ドクトリンは、多くの営業マンを奮い立たせ、富を築く原動力となりました。
しかし、もしGoogleの創業者たちが、この「気合と根性」だけで10Xを目指していたとしたら、今頃彼らは検索エンジンのサーバーの前で燃え尽きていたでしょう。彼らが発見した10X思考の本質は、もっと狡猾で、もっと知的で、そしてもっと「人間的」なものでした。
彼らがたどり着いた境地、それは「10倍を目指す方が、10%を目指すより『簡単』である」という、にわかには信じがたい逆説だったのです。
なぜ「10%の改善」より「10倍の飛躍」のほうが “簡単” なのか?
この奇妙な原則を、Googleの「ムーンショット・ファクトリー」こと、秘密研究ラボ「X」の責任者、アストロ・テラーは、車の燃費を例に挙げて鮮やかに説明しています。
お題①:「車の燃費を10%改善せよ(例:リッター20km → 22km)」
この課題を与えられたエンジニアチームは何をするでしょうか? おそらく、既存のエンジンに改良を加え、車体を少し軽量化し、タイヤの摩擦を減らすでしょう。彼らは、競合他社と同じ土俵の上で、いかに効率よく既存技術をチューニングするかという「知恵比べ」を始めます。これは、すでに引かれたレールの上を、いかに速く走るかの競争です。そこにあるのは、息の詰まるような最適化の戦いだけです。
お題②:「車の燃費を10倍改善せよ(例:リッター20km → 200km)」
さて、こちらのお題はどうでしょうか? リッター200km。もはや、既存のガソリンエンジンをいくら改良しても達成不可能な数字です。チームは頭を抱えるでしょう。そして、気づくのです。
「…そもそも、ガソリンエンジンで考えるのが間違いではないか?」
この瞬間、ゲームのルールが変わります。彼らの思考は、既存のエンジンという「呪縛」から解き放たれるのです。電気モーターは?燃料電池は?車体はカーボンファイバーで超軽量化できないか?いや、そもそも車は「所有」するものなのか?必要な時だけ呼び出せる自動運転のポッドなら、エネルギー効率は劇的に上がるかもしれない。
これが、10X思考の魔力です。
途方もない目標は、私たちを既存の制約や常識から強制的に引き剥がし、「白紙の状態(ゼロベース)」で物事を考え直させます。それは、より懸命に働くこと(Work Harder)を求めるのではなく、視点を変えること(Think Differently)を要求するのです。
10Xの「簡単さ」とは、作業量が少ないという意味ではありません。それは、競合や常識という重力から解放される「戦略的」な容易さなのです。リーダーがこの本質を理解すれば、10X目標を掲げることは、部下に無茶振りをすることではなく、彼らを縛る「見えない鎖」を断ち切る許可を与える行為に変わります。
(参考)アストロ・テラー氏の動画
動画サマリー
Google X(現在のX=ムーンショット・ファクトリー)では、異分野のプロフェッショナルが協働し、人類に大きな影響を与える問題をテクノロジーで解決しようとする「ムーンショット型の発想」が推進されています。
ムーンショット・ファクトリーでプロジェクトを始めるには、次の3つの条件を満たす必要があります。
何百万人に影響を与える大きな社会課題であること
それに対する画期的な解決策が提案されていること
その解決策を可能にするテクノロジーが「実現可能そう」だと考えられること
しかし、ここで大事なのは、成功だけを追い求めるのではなく、最も困難な部分にまず挑み、意図的に自分たちのアイデアを壊しにいく文化です。つまり、「早く失敗して、より良い方法にたどり着く」という発想です。
壮大な野心の源泉:Googleと「X」の役割
この異端の思考法は、Googleという企業のDNAそのものです。ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは、当時すでに存在した検索エンジンを少しだけ良くしようとは考えませんでした。彼らは、競合の「10倍優れた」検索エンジンを作るという、ただ一点にすべてを賭けたのです。
その野心的な精神を組織的に体系化したのが、アストロ・テラー率いる研究開発部門「X」です。彼らの使命は、Googleの中核事業の「外」で、人類規模の巨大な課題に対するラディカルな解決策を見つけ出すこと。彼らは自らを「ムーンショット(月への挑戦)の工場」と呼びます。
彼らの工房から生まれたプロジェクトは、10X思考の射程を物語っています。
- Waymo: 人間の運転手を不要にする自動運転車。交通の概念を根底から覆します。
- Project Loon: 成層圏に巨大な気球を飛ばし、インターネットが届かない地域に空からWi-Fiを届けます。
- Google Glass: 「着るコンピュータ」の可能性を世界に問い、ウェアラブル技術の未来を切り拓きました。
これらのプロジェクトに共通するのは、既存製品の10%改善ではありません。それは、テクノロジーという名の魔法を使って、世界の「当たり前」を根こそぎ書き換えようとする、大胆不敵な挑戦状なのです。
10X思想家たちの肖像
10X思考は、一枚岩の教義ではありません。提唱者によって、その焦点や方法論は万華鏡のように異なる表情を見せます。ここでは、主要な3つの潮流を覗いてみましょう。
技術者の楽園:アストロ・テラーの「ラディカルな解決策」
源流であるGoogle/Xの哲学は、科学技術による「ラディカル(根本的)な問題解決」に集約されます。アストロ・テラーが掲げる原則は、まるでSF小説のようです。
- 長期的な視点: プロジェクトは5年〜10年スパンで考えます。短期的な利益という雑音から逃れ、深く潜る時間を確保します。
- 熱狂的な懐疑主義: 夢を追う楽観主義と、その夢を打ち砕くほどの徹底的な懐疑主義を両立させます。チームは毎日「今日、どうやってこのプロジェクトを殺すか?」と自問します。
- 恐れを知らない学際的チーム: 航空宇宙工学者、ファッションデザイナー、元軍司令官。多様な知性がぶつかり合うことで、奇跡は生まれます。
彼らにとって10Xとは、技術の力で未来を手繰り寄せるための、壮大な知的冒険なのです。
ハッスルの教義:グラント・カードンの「圧倒的行動量」
冒頭で触れたグラント・カードンは、全く違う頂を目指します。彼の10Xは、個人の成功、特に「富の形成」に特化しています。その教えはシンプルかつ暴力的です。「目標を下げずに、行動を増やせ」「競争相手を支配せよ」。
彼の世界では、成功は選択肢ではなく「義務」であり、平凡な思考は「悪」です。これは、テクノロジーではなく、人間の意志と行動量で現実をねじ伏せようとする、ある種の体育会系哲学です。Googleのそれとは対極にありますが、個人の突破力を極限まで高めるという意味では、これもまた純粋な10Xの一形態と言えるでしょう。
起業家の福音:ダンサリバン&ハーディの「賢者の道」
ストラテジックコーチのダン・サリバンと組織心理学者のベンジャミン・ハーディは、特に成長の踊り場に立つ起業家に向けて、洗練された10Xフレームワークを提唱します。
彼らのメッセージは、「2倍より10倍が簡単」というものです。
- 2倍の成長を目指すと、人は「もっと頑張る」ことを考えます。既存のやり方を強化しようとするため、労働集約的になり、やがて燃え尽きます。
- 10倍の成長を目指すと、人は「全く違うやり方」を考えざるを得なくなります。既存のやり方を捨て、より賢く働く方法を探し始めます。
彼らの哲学は、「何をやるか(Doing)」だけでなく「何者であるか(Being)」の変革を求めます。10倍の結果を出せる自分になるために、不要な8割の活動を捨て、最もレバレッジの効く2割に集中せよ、と説くのです。これは、カードンのような物量作戦ではなく、知恵と戦略でブレークスルーを目指す、起業家のための兵法です。
エンジンルーム探訪:10X思考を動かす3つの心臓
では、このパワフルな思考法を、単なるスローガンから実行可能な戦略へと落とし込むには、何が必要なのでしょうか。そのエンジンルームには、3つの重要な機構が備わっています。
① 大胆な目標設定の技術
10X目標の設定は、売上目標にゼロを一つ足すような機械的な作業ではありません。それは、「自分がこの世界にどんな爪痕を残したいのか」という、魂の問いから始まります。
スティーブン・コヴィーの言う「終わりを思い描くことから始める」です。まず、10年後、自分や自分の会社がどんな「遺産(レガシー)」を築いていたいかを想像します。そして、その壮大な未来から逆算して、今日やるべきことを決めるのです。
このプロセスで驚くほど有効なのが、「主語の転換」です。「私が儲けたい」から、「このプロジェクトは『誰』を幸せにするのか?」へと焦点を移します。Googleの研修では、10X目標を考える際に、徹底的に「ユーザー」に焦点を当てるというのです。個人的な野心は脆いですが、他者への貢献という想いは、困難な道をも照らす強靭な光となります。
② 生産的な失敗の科学
10X思考の世界では、失敗は「悪」ではありません。それは、学習を加速させるための「燃料」です。
アストロ・テラーは、Xの戦略をこう語ります。「問題の最も困難な部分に、最初に全力で取り組む」。なぜなら、プロジェクトの致命的な欠陥(アキレス腱)をできるだけ早く、安く発見することが、最も効率的な学習方法だからです。
そして、ここからが常軌を逸しています。Xでは、プロジェクトの致命的な欠陥をデータで証明し、自らプロジェクトを中止に追い込んだチームは、罰せられるどころか、ボーナスと昇進で報われるのです。
想像してみてほしいのです。あなたの会社で、鳴り物入りで始まった巨大プロジェクトを「これ、根本的に無理です」と証明した若手社員が、全社員の前で表彰される光景を。
この「失敗を称賛する」文化こそが、組織から「失敗を隠す」という最も不毛な行為をなくし、誰もが真実の探求に邁進できる環境を作り出します。失敗は、終わりではなく、より良いアイデアへの貴重な学びなのです。
③ 「恐れなき組織」の作り方
生産的な失敗を可能にする土壌、それこそがハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授が提唱する「心理的安全性」です。
心理的安全性とは、平たく言えば「このチームの中なら、バカな質問をしても、突拍子もない意見を言っても、失敗を正直に報告しても、誰も自分のことを罰したり、笑いものにしたりしない」と信じられる状態のことです。
心理的安全性についての詳細は以下の記事より:
清水直樹 今日は心理的安全性を作る方法をご紹介しています。現在、自分の組織の心理的安全性がどの程度かを評価する方法もご紹介しますので、ぜひご活用ください。 動画でも解説しています。 心理的安全性とは? […]
考えてみれば当然です。心理的安全性が欠如した、つまり「恐怖」に支配された組織で、「さあ、10Xで考えろ!大胆に失敗しろ!」と号令をかけても、従業員が取る行動は一つしかありません。「沈黙」です。彼らは、自分のキャリアを守るために、賢くリスクを避け、波風の立たない10%の改善案を提出し続けるでしょう。
リーダーの最初の仕事は、10X目標を掲げることではありません。部下が安心して失敗という名の実験に挑める「安全な実験室」を建設することなのです。
エドモンドソン教授は、そのためにリーダーが取るべき3つのステップを提示しています。
- 仕事のフレームを再設定する: 「私たちの仕事は不確実で、誰も正解を知りません。だからこそ、全員の声が必要なのです」と公言します。
- 積極的な関与を促す: 「何か意見はありますか?」と待つのではなく、「〇〇さん、この点について懸念はありませんか?」と名指しで問いかけ、意見を求める姿勢を示します。
- 生産的に対応する: 悪い知らせや失敗の報告に対して、決して怒ったり失望したりせず、「教えてくれてありがとう。私たちは何を学べるでしょうか?」と感謝と未来志向で応えます。
10X思考とは、個人のマインドセットであると同時に、それを許容する組織文化そのものなのです。
日本というフロンティア:10X思考の「翻訳」術
「理屈はわかりました。でも、そんなシリコンバレーのやり方、うちみたいな日本の会社じゃ無理ですよ」
その気持ち、痛いほどわかります。根回し、忖度、ハンコ文化。失敗を許さない空気。漸進的改善、すなわち「カイゼン」を家宝のように崇めてきた私たちにとって、10X思考はあまりに異質で、危険な思想に映るかもしれません。
しかし、諦めるのはまだ早いです。日本には、日本のやり方で10X思考を根付かせる道があります。それは、直輸入ではなく、私たちの文化に合わせた丁寧な「翻訳」と「適応」です。
文化の壁を乗り越える「志(こころざし)」の力
日本企業が直面する「現状維持バイアス」や「失敗への恐怖」という高い壁。これを乗り越えるための、私たちが古来から持つ強力な武器があります。それが「志(こころざし)」、現代風に言えば「パーパス」です。
金銭的なインセンティブや、上司からの命令だけでは、人は大きなリスクを取れません。しかし、「この事業を通じて、社会のこの課題を解決するのだ」という、より高次の目的、すなわち「志」があれば、話は別です。
10Xという壮大な目標を、単なる売上目標ではなく、「この志を実現するための、胸躍る挑戦」として位置づける。そうすることで、従業員は恐怖を超えた内発的なモチベーションを見出し、困難な挑戦に自ら飛び込んでいくことができます。あなたの会社のパーパスは、10Xの羅針盤となりうるのです。
日本企業のための10X導入・青写真
では、具体的にどうすればいいのでしょうか。ここに、日本企業が10X思考を導入するための4つのステップを提案します。
- 「思考トレーニング」として始める: まず、「10X」を達成必須のKPIにするのをやめましょう。それをやると、途端に現場はプレッシャーで凍りつきます。そうではなく、「いつもの思考の枠を外すための、推奨される思考トレーニング」として導入するのです。「もし予算が10倍あったら?」「もし競合が明日いなくなったら?」こうした思考実験を、会議のアイスブレイクに取り入れるだけでも、組織の空気は変わり始めます。
- 「出島」を作る: 全社一斉に10Xを導入しようとすると、必ず抵抗勢力との摩擦で頓挫します。そうではなく、本流の事業から切り離された、少数精鋭の「出島」チームを作るのです。彼らには、短期的な収益目標ではなく、「学習の速度」といった異なる物差しを与えます。本社からの干渉を断ち、治外法権の特区として、大胆な実験を許すのです。
- パートナーシップを組む(自前主義からの脱却): 日本企業は、すべてを自社でやろうとする「自前主義」の傾向が強いです。しかし、10Xのような未知の領域では、それは致命傷になりかねません。非中核領域では、世界最高の知見を持つ外部パートナーと積極的に手を組むべきです。リスクと専門知識を分散させ、自社の強みをテコの支点として、より大きな力を生み出すのです。
- 「カイゼン」と「10X」を両立させる: 最も重要なのは、10X思考が、日本の宝である「カイゼン」を否定するものではないと理解することです。両者は対立するのではなく、補完関係にあります。
- カイゼン(10%思考): 今日の収益を支える中核事業を磨き込み、最適化する「守りの剣」。
- 10X思考: 明日の収益源を創造し、未来の事業を発明する「攻めの盾」。
リーダーの役割は、この両利きの経営を実現し、組織のリソースと時間を適切に配分することに尽きます。
旅の終わりに:10Xとは「問い」である
ここまで、10X思考の光と影、その本質と実践方法について、長い旅をしてきました。
グラント・カードンのようなハッスルな教えから、Google XのSF的な野心まで、10Xには様々な顔がありました。それは、失敗を称賛し、心理的安全性を基盤とする、繊細な組織文化を必要とすることもわかりました。そして、日本という特殊な土壌で育てるための、独自の工夫が必要であることも。
結局のところ、10X思考とは何なのでしょうか?
それは、単なる目標設定のフレームワークではありません。
それは、「自分と、自分たちの組織と、この世界の可能性を、根底から問い直すための思考のOS」なのです。
- もし、失敗という概念がなかったら、あなたは何に挑戦するでしょうか?
- もし、お金やリソースの制約がなかったら、どんな問題を解決したいでしょうか?
- あなたの会社が、10%の改善を追い求めるのをやめたら、どんな未来を創造できるでしょうか?
この記事を閉じた後、ぜひあなたのチームで、あるいはあなた自身の心の中で、この「10Xの問い」を立ててみてほしいのです。
答えはすぐに見つからないかもしれません。その問いは、あなたを居心地の悪い場所に連れて行くでしょう。しかし、その不快感の先にこそ、今まで見たことのない景色が広がっています。



