言志四録に学ぶリーダーシップの本質|西郷隆盛も愛した不変の教え



清水直樹

「リーダーシップとは何か?」

「変化の激しい時代に、何を軸として経営に臨むべきか?」

これは、多くの経営者やリーダーが、日々自問自答している根源的な問いではないでしょうか。情報が洪水のように押し寄せ、価値観が多様化し、未来の予測が困難を極める現代。私たちは、確固たる「判断の拠り所」を見失いがちです。

もし、その答えのヒントが、今から約200年前、江戸時代後期に書かれた一冊の書物にあるとしたら、あなたはどう思いますか?

 

その書物こそ、幕末の儒学者・佐藤一斎(さとう いっさい)によって著された『言志四録(げんししろく)』です。

言志四録

本書は、幕末の英傑・西郷隆盛が終生座右の書とし、その人格形成に絶大な影響を与えたことで知られています。他にも、佐久間象山や渡辺崋山など、明治維新を導いた多くの指導者たちが、この書から学び、自らの指針としていました。

なぜ、200年も前の思想家の言葉が、激動の時代を生きるリーダーたちの心を捉え、現代にまでその輝きを失わずにいるのでしょうか。

本記事では、「言志四録に学ぶリーダーシップ」をテーマに、この不朽の古典が現代の経営者やビジネスリーダーに与える深い示唆を、具体的な章句を引用しながら、徹底的に掘り下げていきます。単なる古典の解説に留まらず、現代の経営課題と結びつけながら、あなたのリーダーシップを一段階上のレベルへと引き上げるための「生きた知恵」をお届けします。

なお、同じく佐藤一斎の重職心得箇条も必読です。こちらに記事を載せています。

「重職心得箇条(佐藤一斎)」の現代語訳&口語訳と解説。

なぜ今、200年前の『言志四録』が経営者のバイブルとなるのか?

『言志四録』は、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録(げんしてつろく)」の四部作からなる語録集で、一斎が43歳から82歳までの約40年間にわたり、日々の思索を書き綴った1133条の箴言(しんげん)で構成されています。

その内容は、学問や自己修養に始まり、人間関係、組織の動かし方、そして国家観に至るまで、リーダーが向き合うべきあらゆるテーマを網羅しています。しかし、本書が単なる「処世術の書」と一線を画すのは、その根底に流れる「人間としてどうあるべきか」という、深く、そして普遍的な問いかけです。

時代を超えて響く、佐藤一斎の思想の核心

佐藤一斎が生きた江戸時代後期は、泰平の世が爛熟し、社会の仕組みが硬直化し始める一方で、海外からは異国の船が迫り、内憂外患の兆しが見え始めた時代でした。これは、既存のビジネスモデルが通用しなくなり、グローバル化の波が押し寄せる現代と、どこか重なる部分があります。

このような不確実な時代において、一斎は小手先のテクニックではなく、物事の本質を見抜く「学問」と、己を律する「修養」の重要性を説きました。彼の思想の核心は、「天」という概念に集約されます。

太上(たいじょう)は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経(けい)を師とす。(言志録 第2条)

(最も優れた人間は、天地自然の法則を師とする。その次が、優れた人物を師とし、その次が古典などの書物を師とする。)

リーダーは、目先の利益や世間の評価に惑わされることなく、常にこの「天の理」に立ち返り、自らの言動を省みなければならない。この揺るぎない軸を持つことこそ、あらゆる判断の基礎となるのです。

西郷隆盛、そして明治の指導者たちが求めたもの

西郷隆盛は、西南戦争で自決するまで、『言志四録』を手元から離さなかったと言われています。彼は、この書から何を学び取ったのでしょうか。

それは、「私」を滅し「公」に尽くすという、リーダーとしての覚悟です。

私欲は有る可からず。公欲は無かる可からず。(言志録 第221条)

(個人的な欲望はあってはならない。しかし、公(おおやけ)のための欲はなければならない。)

西郷は、一斎のこの言葉を胸に、私利私欲を徹底的に排除し、「天下国家のため」という一点にその身を捧げました。彼の無私の精神と、人を惹きつけてやまない巨大な人間力は、まさに『言志四録』の教えの実践そのものだったと言えるでしょう。

現代の経営者にとっての「公」とは、顧客であり、従業員であり、社会全体です。自社の利益(私欲)だけを追求するのではなく、この「公」に対してどのような価値を提供できるか。この問いに向き合うことこそ、企業の存在意義を確立し、持続的な成長を可能にする鍵なのです。

リーダーの器を磨く『言志四録』の教え

リーダーシップとは、権力や地位によって生まれるものではありません。それは、その人の「人間的な器」の大きさに他なりません。『言志四録』には、このリーダーの器を磨き、広げるための教えが数多く記されています。


才よりも量を重んじる – 人を惹きつける「度量」の力

現代のビジネスシーンでは、専門的なスキルや知識、つまり「才能」が重視される傾向にあります。しかし一斎は、才能以上に「度量」、すなわち人間的な器の大きさが重要だと説きます。

才有りて量無ければ、物を容るる能わず。量ありて才無ければ、亦事を済さず。両者を兼ね得ざれば、寧ろ才を棄てて量を取らん。(言志後録 第98条)

(才能があっても度量がなければ、人を受け入れることはできない。度量があっても才能がなければ、事を成し遂げることはできない。もし両方を兼ね備えることができないのであれば、むしろ才能を捨ててでも度量を取るべきだ。)

なぜなら、事業とは一人では成し遂げられないからです。多様な価値観や能力を持つ人々を受け入れ、その力を最大限に引き出す「度量」がなければ、組織は機能しません。

あなたの周りに、非常に優秀で仕事はできるけれど、部下がついてこない、あるいは同僚から敬遠されているような人はいませんか?それは、まさに「才あれども量なし」の状態です。

経営者やリーダーは、自らの才能を誇示するのではなく、むしろ自分とは異なる意見や、時には耳の痛い諫言さえも受け入れる度量を持つ必要があります。部下の失敗を許し、再挑戦の機会を与える。異質な才能を認め、活かす。そうした懐の深さこそが、人々の信頼を集め、組織に活力を与えるのです。

志を高く掲げ、己を信じる

リーダーの器の根幹をなすのは、その「志」の高さです。どこを目指すのか、何を成し遂げたいのか。その志が、組織の進むべき方向を照らす灯台となります。

志有る者は要は当に古今第一等の人物を以て自ら期すべし。(言志録 第118条)

(志を持つ者は、古今東西で第一等の人物になることを自らの目標とすべきである。)

これは、単に尊大になれということではありません。目標を高く設定することで、視座が上がり、日々の些細な困難に揺らがなくなるのです。そして、その高い志を支えるのが、徹底した自己への信頼です。

士は当に己に在る者を恃むべし。天地を驚く極大の事業も、亦すべて一己より興(おこ)す。(言志録 第119条)

(リーダーたる者は、自分自身に備わっているものを頼りとすべきだ。天地を驚かすような偉大な事業も、すべては自分一人から始まるのだ。)

外部環境や他人の評価に依存するのではなく、自らの内なる力と可能性を信じ抜く。この確固たる自己信頼がなければ、リーダーは困難な決断を下し、逆境を乗り越えることはできません。

「仕組み」に任せ、リーダーは「大事」を為せ

「リーダーは常に多忙であるべきだ」という考え方は、一つの呪縛かもしれません。現場の誰よりも働き、全ての業務を把握していなければならない。そう信じているリーダーは少なくないでしょう。しかし一斎は、リーダーが本当に為すべきことは別の場所にあると、200年も前に喝破しています。

大臣の職は、大綱を統(す)ぶるのみ。日間の瑣(さ)事は、旧套(きゅうとう)に遵依(じゅんい)するも可なり。但だ人の発し難きの口を発し、人の処し難きの事を処するは、年間率(おおむ)ね数次に過ぎず。(言志録 第51条)

(リーダーの仕事とは、組織の大きな方針(大綱)を管理することだけである。日々の細々とした業務(瑣事)は、これまでのやり方(旧套)に従っておけばよい。リーダーが本当に動くべき、誰もが言いにくいことを発言したり、誰もが解決できない困難な問題を処理したりするような場面は、一年を通しても数えるほどしかないのだ。)

この言葉は、現代の経営者にこそ深く突き刺さります。ここでいう「旧套」とは、まさに「仕組み」「業務プロセス」「マニュアル」に他なりません。

優れたリーダーは、自らがプレイングマネージャーとして全ての細かな業務をこなすのではなく、誰がやっても一定の品質と成果が保たれる「仕組み」を構築することに心血を注ぎます。日常業務がしっかりと仕組み化されていれば、リーダーは日々のオペレーションに忙殺されることなく、マイクロマネジメントの罠に陥ることもありません。

そうして生まれた時間とエネルギーを、どこに投下するのか。それこそが、リーダーにしかできない「大事」、すなわち「人の発し難きの口を発し、人の処し難きの事を処する」ことです。

それは、

  • 会社の10年後、20年後を見据えたビジョンを描き、語ること。
  • 業界の常識や既存の成功体験を破壊する、新たなイノベーションに挑戦すること。
  • 組織の根幹を揺るがすような、痛みを伴う改革を断行すること。
  • 短期的な利益を度外視してでも、長期的な信頼を守るための決断を下すこと。

これらはすべて、仕組み化された日常業務の対極にある、不確実で、創造的で、そして極めて大きな責任を伴う仕事です。日常の「瑣事」を盤石な「仕組み」に任せ、自らは未来を創る「大事」に集中する。この鮮やかな役割分担こそが、組織を停滞させることなく、常に前へと推し進める原動力となるのです。

「禁不禁の間」に人の心を生かす – ルールと自由の絶妙なバランス

組織を運営する上で、ルールは不可欠です。しかし、ルールで縛りすぎると、人々の活力や創造性は失われてしまいます。一方で、自由放任では組織はまとまりを欠き、目標達成はおろか、存続すら危うくなります。この普遍的なジレンマに対し、一斎は為政者の心得として、絶妙なバランス感覚の重要性を説いています。

政(まつりごと)を為す者但(た)だ当(まさ)に人情を斟酌(しんしゃく)して、之れが操縦を為し、之を禁不禁(きんふきん)の間に置き、其れをして過甚(かじん)に至らざらしむべし。(言志録 第74条)

(政治を行う者は、人々の感情や心情をよく汲み取って、うまく導いていかなければならない。その際、厳しく禁止するのでもなく、かといって野放しにするのでもない、その中間の絶妙なところで管理し、何事もやりすぎにならないようにさせることが肝要である。)

この「禁不禁の間」という言葉は、現代のリーダーシップ論の核心を突いています。


あまりに些細なことまでルールで禁止し、管理を徹底すれば、従業員の心は抑圧され、自ら考えて行動しようという意欲、すなわち「発奮する心」は失われてしまいます。それは、組織から希望を奪うことに他なりません。失敗を恐れ、挑戦を避ける文化が蔓延し、組織は硬直化していくでしょう。

かといって、ルールを一切設けず、好き勝手にやらせては、組織は烏合の衆と化します。

リーダーの真の役割は、この両極端を避け、「禁不禁の間」という絶妙な領域を創り出すことです。それは、企業の理念やビジョンという「揺るぎない大綱」を明確に示し、守るべき最低限のルール(=禁止事項)を設定した上で、その枠の中では従業員に最大限の裁量と自由を与える、というアプローチです。

「何を」目指すのか、「なぜ」それを行うのかという目的は共有しつつ、その「どうやって」達成するかは、現場の主体性に委ねる。このバランス感覚こそが、従業員の当事者意識を育み、創造性を解き放ち、希望に満ちた強い組織を創り上げるのです。リーダーは、規則の番人ではなく、人々のエネルギーを正しい方向に導く、賢明な操縦士でなければならないのです。

人が育つ組織を作る人材育成の哲学

企業の持続的な成長は、人材の育成にかかっています。しかし、多くの経営者が「人は育たない」「どう教えればいいか分からない」という悩みを抱えています。『言志四録』は、人材育成を単なるスキル教育ではなく、リーダーの最も重要な公的任務として捉え、その本質を説いています。

教育は「天に事うる職分」である

一斎は、子弟の教育について、驚くほど高い視点からその意義を語っています。

能く子弟を教育するは、一家の私事に非ず。是れ君に事うるの公事なり。君に事うるの公事に非ず、是れ天に事うるの職分なり。(言志晩録 第233条)

(子弟を立派に教育することは、単なる一家の私事ではない。それは主君に仕えるという公の仕事である。いや、主君に仕えるという公事ですらなく、それは天に仕えるという人間としての職分なのだ。)

これを現代の経営に置き換えれば、「部下や後進を育成することは、自社の利益のためという私事ではない。それは顧客や社会に貢献するという公の務めであり、さらには、人々の可能性を開花させるという天から与えられた職分である」と解釈できます。

この視点に立つとき、人材育成は単なる「コスト」ではなく、未来への「投資」であり、リーダーが果たすべき最も崇高な責務となります。この覚悟を持つリーダーの下でこそ、人は自らの成長に誇りを持ち、その能力を最大限に発揮しようとするでしょう。

心教・躬教・言教 – リーダーの背中が最高の教科書となる

では、具体的にどのように人を育てればよいのでしょうか。一斎は、教育には三つの段階があると言います。

教えに三等有り。心教(しんきょう)は化なり。躬教(きゅうきょう)は跡なり。言教(げんきょう)は則ち言に資す。(言志後録)

(教育には三つのレベルがある。第一の「心教」は、リーダーの人格そのものによって相手を感化させること。第二の「躬教」は、リーダー自らの行動、つまり背中を見せることで手本を示すこと。第三の「言教」は、言葉によって教えることである。)

最も効果が低いのが「言教」、つまり口で教えることです。「ああしろ、こうしろ」と言うだけでは、人は動きません。

次に効果があるのが「躬教」、つまりリーダーが自らやってみせることです。率先垂痕の姿は、何よりも雄弁なメッセージとなります。

そして、最もレベルが高く、本質的なのが「心教」です。これは、リーダーのあり方、その人間性や志、価値観そのものが、知らず知らずのうちに部下に伝わり、彼らを善い方向に「化せしめる」ことを意味します。

結局のところ、人は「何を言われたか」ではなく、「誰に言われたか」で動きます。リーダーが日々、誠実に仕事に向き合い、自己修養を怠らず、高い志を掲げていれば、その「徳」は自然と周囲に伝播し、組織全体の文化を形作っていくのです。言葉による指導(言教)や、行動による模範(躬教)も、この「心教」という土台があって初めて、真の効果を発揮するのです。

己を修め、道を拓く – リーダー自身の終わりなき学び

リーダーシップの旅に、終わりはありません。リーダーが学びを止めたとき、組織の成長もまた止まります。『言志四録』は、リーダー自身の自己修養の重要性と、その具体的な方法について、厳しくも温かい視線で語りかけます。

「学を為す。故に書を読む」 – 学びの本質を見失わない

現代は、まさに情報化社会です。ビジネス書を読み漁り、セミナーに参加し、知識やノウハウを詰め込むことに熱心なリーダーは少なくありません。しかし、一斎はそうした学びのあり方に警鐘を鳴らします。

学を為す。故に書を読む。(言志録 第13条)

(人間として成長するという目的がある。その手段として、書物を読むのだ。)

この短い言葉は、学びの本質を鋭く突いています。書を読むこと、知識を得ること自体が目的化してはならない。それらは全て、自らの人格を磨き、人間性を高めるという「学を為す」ための手段に過ぎないのです。

あなたは、何のために学んでいますか?

単なる知識のコレクションになっていませんか?

一つ一つの学びを、自らの血肉とし、日々の実践に繋げていく。その目的意識を持つことこそ、真の学問の入り口です。


少壮の時に惜陰を知る – 時間という有限な資源と向き合う

時間は、すべての人に平等に与えられた、最も貴重な資源です。特に、気力・体力ともに充実した若い時期の時間の使い方が、その後の人生を大きく左右します。

人は、少壮の時に方(あた)りては、惜陰(せきいん)を知らず。…四十を過ぎて已後(いご)、始めて惜陰を知る。既に知るの時は、精力漸く耗(もう)せり。(言志録 第123条)

(人は、若く元気なうちは、時間を惜しむことを知らない。…四十を過ぎてから、ようやく時間の貴重さが分かるようになる。しかし、それに気づいた時には、すでに精力は衰え始めているのだ。)

これは、多くの人が実感として頷けるのではないでしょうか。若い頃は無限にあるように思えた時間も、年齢を重ねるにつれて、その有限性を痛感するようになります。

だからこそ一斎は、若いうちに志を立て、勉学に励むことの重要性を説きます。リーダーは、自らが時間を惜しんで自己研鑽に励む姿を見せることで、若い従業員たちにも時間の尊さを教え、彼らの成長を促すことができるのです。

艱難は才能を磨く砥石である – 逆境を成長の糧に変える力

経営には、困難や逆境がつきものです。予期せぬトラブル、理不尽な批判、裏切り。そうした苦難に直面したとき、リーダーの真価が問われます。

凡そ遭う所の艱難(かんなん)変故(へんこ)、屈辱(くつじょく)讒謗(ざんぼう)、払逆(ふつぎゃく)の事は、皆天の吾才を老せしめる所以にして砥砺(しれい)切磋(せっさ)の地に非ざるは莫(な)し。(言志録 第59条)

(人生で遭遇するあらゆる困難や災難、屈辱や中傷、思い通りにならない出来事は、すべて天が私の才能を練り上げ、成熟させるために与えてくれた試練である。それらは私を磨く砥石や、切磋琢磨するための修行の場に他ならない。)

一斎は、困難を単なる不運として嘆くのではなく、自らを成長させるための「天からの贈り物」と捉えよと教えます。逆境は、平時では気づかなかった自らの弱さや未熟さを教えてくれます。それを乗り越える過程で、人間的な深みと強さが培われるのです。

問題が起きたとき、それを他責にしたり、見て見ぬふりをするリーダーに人はついてきません。困難から逃げず、真正面から向き合い、それを乗り越えていく姿こそが、組織に勇気と希望を与えるのです。

信頼という最強の資本を築く

ビジネスにおいて、信頼はあらゆる資産に勝る「最強の資本」です。顧客からの信頼、従業員からの信頼、社会からの信頼。これなくして、企業の長期的な繁栄はありえません。『言志四録』は、この目に見えない資本をいかにして築くかについて、本質的な洞察を与えてくれます。

人は心を信ず – 言行一致を超えた「誠」のあり方

「信頼を得るためには、言行一致が大切だ」とよく言われます。もちろんそれは正しいのですが、一斎はさらにその奥深くを見つめます。

信を人に取ること難し。人は口を信ぜずして躬(み)を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。(言志録 第148条)

(人から信頼を得るのは難しいことだ。なぜなら、人は相手の言葉を信じるのではなく、その行動を信じるからだ。いや、行動そのものですらなく、その根底にある「心」を信じるのだ。心は見えない。だからこそ、信頼を得るのは難しいのである。)

人は、表面的な言葉や行動の裏にある、その人の「本心」や「真心(まごころ)」、すなわち「誠」を感じ取ろうとします。口先でどれだけ立派なことを言っても、行動が伴っていなければ信頼されません。そして、たとえ行動が立派に見えても、その動機が自己保身や私利私欲であれば、いずれその本心は見透かされ、人は離れていきます。

リーダーに求められるのは、単なる言行一致ではなく、「心・言・行」の一致です。自らの心に一点の曇りもないか、常に自問自答し続ける。その誠実な姿勢こそが、見返りを求めずとも、自然と人々の心を打ち、揺るぎない信頼関係を築き上げるのです。

義と利のジレンマを乗り越える

企業活動は、利益(利)を追求せずには成り立ちません。しかし、利益ばかりを追い求めれば、道義(義)を見失い、社会からの信頼を失います。この「義」と「利」のバランスは、経営者が常に直面する永遠のテーマです。

利は天下公共の物 – 利益を独占しない思想

一斎は、利益そのものを否定しません。しかし、その利益を独占しようとすることの危険性を鋭く指摘します。

利は天下公共の物なれば、何ぞ曾(かつ)て悪有らん。但だ自ら之を専にすれば、則ち怨(うらみ)を取るの道たるのみ。(言志録 第67条)

(利益というものは、本来、天下の公共物である。どうしてそれ自体が悪であろうか。ただし、それを自分一人が独占しようとすれば、人々からの恨みを買うだけである。)

企業が生み出した利益は、自社だけのものではありません。それは、従業員、株主、取引先、顧客、そして社会全体に還元されてこそ、その価値を発揮します。

利益を従業員の待遇改善や教育投資に回す。適正な価格で取引先に発注する。より良い製品やサービスを顧客に提供する。そして、納税や社会貢献活動を通じて社会に還元する。

こうした「三方よし」ならぬ「多方よし」の精神こそが、企業のステークホルダー全員からの支持を集め、結果として長期的な繁栄に繋がるのです。目先の利益を独占しようとする経営は、短期的には成功したように見えても、必ずどこかで歪みが生じ、破綻します。

結論:あなたの内なる「問い」に答えるために

ここまで、『言志四録』に記されたリーダーシップの要諦を巡ってきました。

高い志を掲げ、才能よりも度量を重んじる器。


日常を「仕組み」に任せ、自らは未来を創る「大事」に集中する慧眼。

ルールと自由の狭間で人の活力を引き出す「禁不禁」のバランス感覚。

部下育成を天命と捉え、自らの背中で教える姿勢。

学びを止めず、逆境さえも成長の糧とする自己修養。

言行一致の先にある「誠」を貫き、揺ぎない信頼を築く力。

そして、私利を戒め、公の利益との調和を図る高潔さ。

これらの教えに共通するのは、スキルやテクニックといった表層的なノウハウではなく、「リーダーとして、一人の人間として、どうあるべきか」という、どこまでも深く、根源的な問いです。

『言志四録』は、私たちに明確な「答え」を与えてはくれません。むしろ、時代を超えた普遍的な「問い」を投げかけ続けることで、私たち自身の内省を促します。

  • あなたの会社にとっての「公欲」とは、具体的に何ですか?
  • あなたが今、磨くべき「度量」とは、どのようなことですか?
  • 日常の瑣事から解放された時、あなたが本当に為すべき「大事」とは何ですか?
  • あなたの組織は、創造性を生かす「禁不禁の間」を保てていますか?
  • あなたは部下に対して、「心教」で何を伝えられていますか?
  • あなたの「誠」は、従業員や顧客に届いていますか?

この古典に示された道は、決して平坦なものではありません。常に己と向き合い、学び、省み続ける、終わりなき修養の道です。しかし、その厳しい道の先にこそ、真のリーダーシップが確立され、人が集い、組織が未来へと続いていくのではないでしょうか。

もし、あなたが今、日々の業務に追われ、経営の「軸」を見失いかけているのなら。あるいは、リーダーとしての自らのあり方に迷いを感じているのなら。

一度立ち止まり、この200年の時を超えて語りかけてくる賢人の言葉に、静かに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

『言志四録』のページをめくる。その行為は、単に知識を得るためではありません。それは、あなた自身の内なる「問い」と向き合い、あなただけの「答え」を見つけ出すための、静かで力強い対話の始まりとなるはずです。


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