子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。



清水直樹
「吾十有五にして学に志す・・・」から始まる言葉は論語の中でも良く知られたものです。今日はこの言葉の意味と、我々会社経営に携わるものが、この言葉から何を学ぶべきかを考えてみましょう。

 

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

この文章は、まさに孔子自身による自伝のようです。孔子(紀元前551年 – 紀元前479年)は、中国の思想家であり、儒教の創始者として名高い人物です。彼の人生は、学問への情熱と人々への貢献心に満ちていました。孔子は、若き日に学びの道を選び、その志向は幼少期の教育によって育まれました。

吾十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑はず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順(したが)ふ。 七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず

まずそれぞれの言葉の意味を見てみましょう。

吾(われ)十有五(じゅうご)にして学に志す

原文:吾十有五而志于学

現代語:吾(われ)十有五(じゅうご)にして学に志す

孔子は十五歳の頃、学問への志を抱きました。ただし、これは、十五歳にして学問を始めた、ということではないと思われます。学問の方向性を定めたと考えるべきでしょう。なぜならば、孔子は礼記(儒教教典のひとつ)の教えに基づき、「六歳にして数と方角の名称を学び、九歳にして日付の数え方を学び、十歳にして文字を書き、十三歳にして音楽を楽しむ」という基礎を築いていたはずだからです。

いずれにしろ、十五歳は孔子の人生における重要な転機であり、高度な学識を身につける意志を固めた瞬間だったのでしょう。それは文化を通じて人々に貢献するという志向が背後にあったのかもしれません。

 

三十にして立つ

原文:三十而立。

現代語:三十にして立つ

三十歳になると、孔子は学問の基礎を固めました。これは彼の研鑽と努力の成果であり、自己の学問に対する自信が芽生える時期でした。その後の年月で、彼は自身の学問が社会において妥当なものであると確信するようになりました。

伊藤仁斎(日本人儒学者)によれば、「立つ」とは自分で道に立つことです。学問が自分のものになると、利益・棒給や間違った学説のために気が変わり、心が揺らぐことがなくなった、という意味合いになります。

 

四十にして惑わず

原文:四十而不惑

現代文:四十にして惑わず

四十にして惑わずとは、自己の学問に対して、自信を得、自己の向っている方向が、人間の生活として、妥当なものであることを、確信するようになった、という意味になります。それによって、事を判断するにあたって、迷わないことを指します。

「四十にして惑わず」は、この自序文の中でも、最も知られたものかも知れません。それだけ世間の40歳は生き方に迷っているということかもしれません。ただし、今述べた通り、ここでいう惑わず、というのは、人生の方向性について迷うということではありません。孔子は15にして人生の方向性を決めてますからね。

 

五十にして天命を知る

原文:五十而知天命

現代文:五十にして天命を知る

五十歳になると、孔子は天命を感知するに至りました。伊藤仁斎によれば、天命とは招こうとしてくるものではなく、自然とやってくるものとのことです。そこで天命を知るというのは、自分で修養に努め、かすかな期待心を抱かずに、努力することが、自身に授けられた使命であると理解した、ということになるでしょう。

 

六十にして耳順(みみしたご)ごう

原文:六十而耳順

現代文:六十にして耳順(みみしたご)ごう

六十歳に達すると、他の意見や考えを受け入れる余裕を持つようになりました。自己中心的な反発から解放され、異なる見解にもそれそれ存在理由があることを知り、尊重する心を育むことができたのです。この心の余裕こそが、彼の人間的な成熟と智慧の証でした。

 

七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず

原文:七十而従心所欲、不踰矩

現代文:七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず

自己の行動にも、真の自由を得たことであり、欲望のままに動いても、人間の法則を踰えないという境地に達した、ということです。矩とは、計量器具のことで、四角形を作る定規だそうです。心の欲するままにしても定規を超えない、つまり、道と自己が一体となった状態と言えます。

 

孔子の人生まとめ

孔子の人生は、学問を学び、自分の思想理念を探求する旅でした。実際、彼は自分の理念を説くために各国を回りますが、どこの君主にも受け入れられず、故郷の魯の国に戻り、弟子と過ごすことになります。そういう意味では不遇の人生と言えますが、その後の弟子たちがまとめた書物などを通じて、彼の功績は多くの人に知られるところになりました。



 

孔子から学ぶ経営者人生の歩み方

さて、私の師匠であり、本サイト「仕組み経営」の考え方のもとになっているマイケルE.ガーバー氏によれば、経営者は経営計画のために人生計画を立てるべきである、とのことです。そこで、孔子の自叙伝を踏まえて、経営者がどのように人生を歩むべきかを考えてみましょう。

志を持つ

孔子が十五歳の頃、学問への志を抱いたことは、経営者にも大きな意味を持ちます。経営者として成功するためには、明確なビジョンと目標を持つことが不可欠です。孔子のように、自己の方向性を見つけ、それを実現するための情熱を持つことが、経営者としての旅路の出発点となるでしょう。

基盤を築く

三十歳で自分の道に立った孔子は、信念を持って学問に励んだ人物です。経営者が企業の成長を目指す際にも、信念と原則が必要です。自己の価値観と経営方針を明確にし、それに基づいて行動することが求められます。自己のスキルや知識、ビジネスの基本をしっかりと築く必要があります。安定した基盤があれば、変化する経済環境に対しても柔軟に対応できるでしょう。

自己確信を持つ

四十歳で迷いを捨てた孔子の言葉は、経営においても重要な教訓です。経営者も自身のビジョンや方針に対して確信を持つことが重要です。外部の意見や変化に惑わされず、自己の信念を貫くことで、ビジネスの成功に向けて進むことができるでしょう。経営の道には多くの困難がありますが、確固たる信念を持つことで、厳しい状況でも正しい判断を下すことが可能になります。

使命を感じる

五十歳で天命を知った孔子の姿は、自身の役割と使命を理解した状態を示しています。経営者も自己のビジョンと社会への貢献を結びつけることが大切です。自己のビジネスが社会に与える影響を考え、その使命感を感じることで、より意義ある経営を追求できるでしょう。

 柔軟さを持つ

孔子が60歳で他の意見を受け入れる余裕を持ったことは、経営者にとっても大切な教えです。異なる視点を尊重し、共感する能力を持つことです。新たなアイデアや意見を受け入れる柔軟性を持つことが成功への道です。自己の固定観念にとらわれず、学び続ける姿勢が重要です。

 調和と節制

七十歳で心の欲する所に従いながらも道を踰らない孔子の姿は、自己の欲望と社会のルールを調和させる智慧を示しています。経営者も個人的な欲求とビジネスの調和を保ちながら、倫理的な枠組みを守り続けることが大切です。自己の成功だけでなく、社会や環境に対する責任も忘れずに行動することが重要です。

まとめ

孔子の人生観は、現代の経営者たちにも多くの示唆を提供しています。学び、立ち、惑わず、天命を知り、耳を傾け、心の欲望と倫理を調和させる。これらの原則は、中小・成長企業に関わる方々が、世の中に大きな貢献をするための道標となるでしょう。

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