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「年に36時間働くだけで年商5倍に」株式会社CODE7 代表取締役 桑原 匠司様 インタビューレポート2018年7月

今回のレポートは、PHIピラティスジャパンディレクターの桑原 匠司さん(株式会社CODE7代表取締役)のインタビューです。

桑原さんは、私たちが活動をスタートさせた初期段階(2012年頃)にお付き合いが始まりました。

2012年にマイケルE.ガーバーによる認定ファシリテーター制度(今は終了)のトレーニングが米国であり、それにご参加されたのです。

それ以降仕組み化に取り組まれて、いまでは年に36時間働くだけで年商が当時の5倍に成長した、という素晴らしい実績の持ち主です。

注:ピラティス・メソッドは、ジョセフ・ピラティスによって20世紀前半に真の健康と幸福を手に入れるために提唱された身体調整法である。現在では、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本など世界中に広まっている。ジョセフは、自身のメソッドを「コントロロジー」と名付けており、単なるエクササイズとは違う「全身の細かな筋肉と精神を自分自身でコントロールするための学問」と呼んでいた。(Wikipediaより)

 

桑原 匠司様プロフィール:1978年生まれ。島根県在住。株式会社CODE7代表取締役、EWP株式会社代表取締役、トライリングス株式会社取締役、PHI Pilates Asia bloc Director,同Japan Director。今年中にはもう1社立ち上げ予定。マイケルEガーバーに師事し、「より良いものを未来へ託す」をコンセプトをインストラクター教育、健康管理、IT関連などの分野で幅広く活動。主な著書に「運動療法としてのピラティス(文光堂)」があり、世界で初めてとなるピラティスの医学専門書としてアマゾンランキングのリハビリテーション医学で発売前から1位を獲得。(HP:http://phipilatesjapan.com

以下からご覧ください。

(インタビュワー:清水直樹)

 

では、今どういうお仕事されているか、というところから教えていただけますか。

今は株式会社CODE7という会社で、一番の大きな事業が、PHIピラティスジャパンです。ピラティスというボディワークがあるんですけれど、そのインストラクターを全国につくるというのが一番のメインですね。

 

それって、もともとはアメリカのものでしたでしょうか。それの日本の代理店みたいになっていると。

そうです。

 

今、そのインストラクターというのはどれくらいいらっしゃるんですか?

延べでいうとこの2018年3月で1537名ですね。

 

すごいですね。

医療従事者が資格取得者の約3割で、その分やはり質を担保しなきゃいけないだろうということで、CEU (コンティニュードエデュケーションユニット)という制度を導入しています。2年に1回、認定した勉強会にいくとポイントが貯まるという制度です。

うちは年会費をもらっていない代わりに、セミナーをして、それに参加すると何ポイント、というように、本人が必要な勉強をしたらポイントを付けるようにしようということになっています。それでだいたい、年間で1万円くらいになるようになっています。

 

それは、日本独自の制度ですか?

いえ。私は元々アメリカでアスレティックトレーナーというアメリカだと国家資格、準医療資格を取っていて、簡単にいうと、チームにつくトレーナーというやつですね。テーピングをしたりとか、選手がフィールドに戻れるように、スポーツ競技に戻れるためにリハビリをしたりする職業です。

その資格維持の方法が、ほぼそのような形だったんです。それが良いシステムだったので。日本ではいろんな協会が季刊誌を出して、年会費で3000円とか5000円をとっていて、ただ、情報ってそんなにいる?って思いましたし、年会費が資格を維持するのに毎年かかるなって思われると、資格を維持するのが結構苦痛な方がいるんですね。僕もそうだったんです。

でも、やめると資格が剥奪されるので、だったら、高額な資格は取るのをやめようかってなってしまいます。

PHIをはじめて、2年目か3年目のときに、米国にツアーにいって、仕組み化とかシステムっていうのがわかってきて、さっきの1537名のうち今は959名が資格を更新している状態です。

 

すごいですね。ツアーに行ったときは、まだ比較的始めたばかりだったというイメージなんですね。

そうなんですよ。あれは多分、清水さんが広告を出していたんだと思うんですけれどFacebookに、職人であればあるほど失敗するみたいな、そんな文言がパッと目についてからですね。

その時はちょうど、僕1人で1日中パーソナルトレーニングをだいたい8人か9人見ていて、プラス、土日を使ってPHIの活動を広げていくのに体がもたないし、僕がいなくなったら誰がどうやって広げるんだろうっていうのもあって。やっぱりクレームが出始めたときだったんですよね。それが回らなくて。

「あれはどうなってます?」とか、「この前の問い合わせの返事が全然こないんですけれど」とか。まさにサラ状態でした。そのときに、その文言が目について。読んでいったら、これはちょっといいタイミングだなと思って、すぐに行こうと思ったということです。

注:サラ状態・・・「はじめの一歩を踏み出そう」の主役人物サラのこと。パイ屋をオープンしたものの、職人的仕事に追われる日々を送っていた。

 

なるほど、そういうことですね。今は、講師の育成もまだ引き続きやっているわけですか?

ピラティスって、実は7つの道具を使うんです。その道具ごとに資格が分かれています。皆さんが知っているのはマットピラティスっていう、マットの上でヨガみたいなかたちでやるピラティス。あれが1つの資格なんですね。

ピラティスって実は、いろんな機械を使ってやるんですけれど、それがあと6段階あるんですよ。この最初にとらなきゃいけないっていうのが、マット資格なんです。これに関しては、日本で30名くらい資格を発行できる人達がいるわけです。その上の第2段階で、多分10名ちょっとですかね。ただ、残りの資格は、まだ僕でしか発行できないんですよ。

徐々に、最初は僕でしか全部できなかったんですけれど、頑張って広げて、いろいろとメディアにも出て広げていっているところに、お弟子さんをつくっていきました。

お弟子さんには、まだ将来があるよと見せるために、仕組み化で学んだことを使いました。要するに、もっと上の段階があって、続けていったら、経験を積んだら上にいけますよ、というのを見せるようにしたのです。

今うちは12年目ですけれど、まだ僕でさえやっと全部出せるようになったので、次の資格にいくには時間がかかって当たり前、という感じですね。

だから、どうしても職人が多いんです。日本の職人ってやっぱり、1年でパッと習得して教えられるって、ちょっと安っぽいイメージがあるんですよね。経験を積んで、僕でもやっと12年ですよと。これで全部免許皆伝なんですよ、と。

 

日本の伝統工芸の職人でも10年くらいは余裕ですもんね。

そうですよね。神田昌典さんの本を結構読んで、だいたいプロダクトのライフスタイルって10年って言われていたんですね。そうすると、創業10年で最初の資格に入ってくる人の伸びが悪くなってきたんですよ。

そこで、次の手としてはもう1個上、もう1つ上の資格を出せるようになるように門を開いて、ライフサイクルを活性化させてきました。そうすると、資格を発行する人もまた1つ収入源ができるし、その人が教えた人達に対して、また連絡をします。5年くらいしてから私もやっとできるようになったんだよっていうと、熟成された感があって、自分も取ってみようかってなるわけです。

 

なるほど。最初に独立されるまでは、どういうような仕事をされていたんですか?

独立前というのは、あるトレーナーの派遣会社に勤めていました。この会社というのが、イチロー選手のトレーナーさんが役員に入っている会社だったんですね。アメリカの資格をとっている人しかいなかったんですよ。僕が入ったときは、まだ僕も合わせて2人しか社員がいなかったんですけれど。

もう15年、14年前くらいになるんですけれど、パーソナルトレーナーというものがだんだん流行りだしてきた頃だったんですね。プロが受けていたサービスを一般の人も受けられたら面白いんじゃないか、というふうになってきたんですよ。全国で。

今でこそフィットネスジムでもパーソナルトレーニングってありますけれど、それの先駆けでした。でも、付け焼き刃でそういうものを勉強しても駄目だよねっていうときに、アメリカでは準医療資格で、国家資格でトレーナーがあるっていうことで、じゃあうちらがプロとしてアメリカの情報をもとにして日本でパーソナルトレーナーの教育をしようと。当時は本当にピークでしたね。

そんな感じで、ちょうど引く手数多なときでした。自分がトレーナーとしてお客様を見ていましたし、インストラクターの教育、そして専門学生の教育もやっていたというのが、前職の仕事ですね。

 

なるほど。そこから独立されたということですよね。

そうですね。前の会社でPHIピラティスジャパンを起ち上げたんですけれど。PHIピラティスジャパンを結局僕が引き継ぐことになったんですね。実際僕が全部やっていたので。それをそのまま引き継いで、最初は所属していた会社に何%か納めていましたが。それから、独立して1年目か2年目のときに、米国のツアーに行っているんですね。

 

ツアーは100万円以上かかったと思うんですけれど、独立して間もない状況で結構悩んだりしませんでしたか?

独立して、やっぱり頭打ち感があったんですよね。僕はてっきり、平日はパーソナルトレーニングをして、土日の時間に組織運営をするのが大変だったから頭打ちになっていたんだと思っていたんです。ところが、パーソナルトレーニングがごそっと抜けて、普及する作業する時間はあるわけですよね。でも結局、あまり変わらなかったんですよね。

広告をうっても反応もないし、言うほど問合わせのメールもこないし。じゃあどこをどうやってやろうかと。自分がブログを書いたりとかしていくんですけれど、あれ?と思って。思ったよりも伸びないなって。自分の時間は関係なかったんだってことに気がついたんです。

だけど、じゃあ何が原因かは全然わからなくて。というときに、さっきも言いましたけれど、職人であれば独立しても失敗するというすごくキャッチーな、まさに俺のことか?というようなものを見つけたので、お金がまだ入ってきている間にいかないと、と思いました。本当にすごくいいタイミングでした。ランディングページに書かれていることがまったくマッチしていたんですよ。1回アメリカでリフレッシュしたいなという思いもあって。だから、米国にも多分、2日か3日、早く入っていって、ゆっくりしてました。

 

なるほど。そのときはちなみに、インストラクターの方々はどれくらいいたんですか?

200人くらいです。ちなみに、そのときに資格をとって更新している人は0人ですね。そのときは、僕が全部やっていました。教えるのも、広報も全部自分で。それが当たり前だと思ってました。

 

帰国してから、何をどういう順番で取り組んできましたか?

まずは、大きなビジョンを描きましたね。「ドリーマー」「シンカー」「ストーリーテラー」「リーダー」という部分を自己分析したところ、ドリーマーが非常に強かったのと、ストーリーテラーが強いかな、と思いました。

リーダーがその次で、極端に少なかったものがシンカーだったんですね。言われてみればそうだな、というところもあったので、まずはたりないシンカーの部分をどうにか補填しようということで、まずはシンカーの役割を担ってくれる人を1人雇いましたね。よく喧嘩するって言うじゃないですか。ドリーマーとシンカーって。なので、部下にしました。

注:「ドリーマー」「シンカー」「ストーリーテラー」「リーダー」・・・起業家が担うべき4つの人格のこと。

 

それは、同じ業界の方ですか?

同じ業界で、講演で回っていたときに、講演先のいろいろと手続きをしてくれたスタッフが、思いにすごく共感してくれて、飲み会のときに自分はドリーマーだっていう話をしたら、それでいうと“僕はどシンカーですね”と。あら、近くにいたか、みたいな(笑)。今でもその社員はいるんですけれどね。変わった経歴なんですけれど。どシンカーですね。

あとは、大きな構想を描くことですね。ピラティスを広げるとかではなくて。ツアーの時に話したと思うんですが、日本には素晴らしい起業家がいたじゃないかと。本田宗一郎だったり、松下幸之助だったり、灰になった大地から復活させた人たち、あの人達は何を考えてやっていたのかなと思うと、別に電球にこだわっていないし、バイクにもこだわっていなかったじゃないですか。

松下幸之助は、夜に暗いと皆の気もちが暗くなったりするし、勉強も仕事もできない。だから電球を開発しただけで、結局そのあと冷蔵庫もつくっているし、いろいろとつくっているじゃないですか。人間の暮らしを豊かにしたい、というわけです。

戦後の日本、敗戦国である国民感情を明るくしたいということだったわけです。そういう大きな話はすごく大事だなと思ったんですよね。たとえばうちだったら、PHIピラティスというのは医療従事者にも愛されていますよね。やっぱり結果が出るんですよ。病院でも、まだこれは原因不明でわかないねって言われたりとか、怪我を何回も繰り返している人達を治せるんですよね。それは後世に残していくべきだろうと。なので、うちのコンセプトは、よいものを後世に残すというテーマなんですよ。だったら何でもいいんですよね。

 

そのコンセプトを、帰ってきてからつくったという感じなんですか?

そうです。最初は7つのコンセプトで、7つの事業部ってやってたんですよ。

それが結構的外れというか。たとえば7つの事業部って、当時10年前に、電子書籍がくるだろうと。オンライン教育がくるだろうって、事業部を勝手に起ち上げていたんですね。

でも、資本が追いつかなかったり、Kindleがバーンと出てきたりとか。いろんなものが出てきて、それに伴って1個事業が潰れるということがありました。そこで、これは違うな、そこじゃないな、というところだったんですね。だから、確固たる何かをつくらなければいけないと。それこそ、インパーソナルドリームの根幹ですよね。

注:インパーソナルドリーム・・・顧客のための夢のこと。

 

あとは、仕組みですね。ちょうど父親が背骨が曲がらないという病気になってしまったんですよ。それは僕が高校生のときからなっていて手術しても治らない。地べたに座れない。椅子にしか座れない。振り向くこともできない。車の運転をしていたんですけれど、それがもう駄目で。僕は一人っ子だったので。これはいつか帰らなきゃいけないっていうのがあったんですよ。

そこで行き着いたのが、地元(島根県)で働くというよりは、システムをつくって、それをビジネスでやっていけばこれは可能になるかもしれないと思ったんです。そこは考えていたのですが、ツアーに行ってすごく背中を押してもらいました。

 

それを全部実現して今にいたる、みたいな感じなんですね。

そうですね。

 

仕組み化の部分でいうと、具体的にどういうところに取り組まれた感じですか?

まずは僕は、お金の計算が苦手というか、単純作業が苦手なんですよ。レシートを月に1回、これは何とか費、何とか費って入力して計算して分けるって僕ではなくても、仕組みがわかっていたらできる作業じゃないですか。それをやるのにものすごく時間がかかるというか、やりたくないから時間がかかるんですよね。単純な話です。

あとは、文章を打って、これちょっとチェックしておいてとか、申込みフォームつくっておいてって、ありきたりなものを作業としてやってくれる人。しかもそれが楽しくてしょうがないみたいな人を探していたんですよね。だから、シンカー探しはまず、単純作業が好き。現実味のあふれる人。これでお金が儲かるんですか?みたいな人を探しました。

 

なるほど。ということは、まずは自分の今やっていた仕事の中から、そういった苦手な部分とか、自分じゃなくてもできる部分を切り離して、人に任せていったということがかなり大きかったということですね。そうすると、結構時間が自由になると思うんですけれど。、その余った時間でどういうことをされていたんですか?

おっしゃる通りです。シンカーの部分がなくなって、苦手な部分がなくなったら、本当に気持ちも、時間も余裕が出来ます。じゃあ、逆に僕は何ができるんだろうってまた分析したときに、ストーリーテラーの部分かなと思って。

要するに営業とか、広告塔とか。そういう部分で全国にPHIの名前を知らしめようと思いました。僕の名前だと駄目なのでPHIの名前ですね。それをしようとしました。個人が前に出るんじゃなくて、会社が前に出る必要がある。

または自分が前に出るんじゃなくて、2番手3番手を思い切り前に出す。この人達が有名になれば、その奥にいる人達も有名になる。僕の場合は、PHIピラティスジャパン代表ということでやっていたのですが、代表は本当にちょこっとしかメディアに出ない。2番手や3番手がものすごく活躍しているよっていうふうに作り込んでいったのが、空いた時間にやってきたことですね。

 

なるほどね。組織でいうと、リーダーを育てていくみたいなイメージ?

そうです。そうすると、社長がフォーカスされないのに、何かすごいっていう感じになるという。僕にきた話を、自分は忙しいんでとか適当に言いながら、この人どうですか?って推薦するわけです。

 

そうなると、そういう人達になりたいと思って、また入ってくる人達がいると。

その通りです。その人達も、さっき言った資格が発行できる立場だったので。その人達が僕が引っ張ってきたメディアと繋がることで、無料で広告ができて、しかも自分のところに生徒がきたら、自分にもインセンティブが返ってくるじゃないですか。

話がそれて申し訳ないんですけれど、僕等の業界は、自分の腕に自信がつくと、お客さんがとれるようになって、組織をやめていくんですよ。

なので、そもそも僕は雇っていないんです、その子達を。その子達は外部の人で、彼らに稼げるシステムを売ったわけです。その子達をバンとその業界のスターにすることで、その子達も潤うし、うちも潤うというようなビジネスがつくれる。

 

なるほど。最初に桑原さん自身がやっていたビジネスを、パッケージング化して、そのまま彼等ができるようにしてあげたというこですね。

その通りです。その前は神田昌典さんの本とか、本田健さんの本をすごく読んでいたのですが、彼等って1人カリスマじゃないですか。本田さんの弟子も神田さんの弟子もいるんでしょうけれど、あの人達が死んだら多分誰も継がないというか、誰がやるの?と。以前は自分もそうなろうとしていた、ということです。

 

なるほど。そこから発想を反対に変えてやってきたと。ちなみに、その後急激に伸びてきた感じなんですか?

売上でいったら、5倍になりました。売上が5倍になって、僕の時間は、これに関することでいうと、1年で労働時間が6時間×6、36時間になりました。

売上が5倍になって、労働時間はサラリーマンの労働時間から、1年間で36時間に。

 

年間で36時間。すごいな。

 

今は田舎にいるから、余計に余裕で暮らせるわけですよ。

 

なるほど。じゃあ、仕組み化をスタートしてから10年経っていないから、7、8年くらいですかね。

そうですね。かなり劇的に変わった感じですね。本当に。こんなに変わるとは。

でも、よく考えたらたしかに、僕の分身が30倍になったわけで、しかも、全国各地に散らばって、顧客は別のマーケットからとってくるわけなので、それは広がるかと思いながらも、実際にやるまでは、僕じゃない人にやらせて、ちゃんと人が集まるんだろうかって思ってしまっていましたね。

 

そうですよね。彼等の集客はどうやってやっているんですかね。

これはちょっと弱いところでもあり、もしかしたら良いところでもあるかもしれませんが、完全に任せていました。完全に資格発行をできる人達に任せています。最低限のルールはつくっていますけどね。

 

なるほど。ちなみに、今は時間的にもそんなに制約がないでしょうし、場所的にも結構自由だと思うんですけれど、これから取り組みたいとか、今取り組んでいて将来はこうしていきたいなということがあれば教えてください。

もちろんピラティスのインストラクターを増やしたいというのはありますけれど、時間と生活に余裕ができた分、違う会社を起ち上げたんですね。3年前に。EWP株式会社というのを起ち上げました。

「Employee Wellness Program」の頭文字なんですけれど。企業で働いている人達を健康にさせようというコンセプトですね。僕等が関わることで日本の医療費を削減する。それを地方でやることで、地方を活性化と創生。このダブルを念頭にやっていこうとしている会社を起ち上げたんです。

 

それは、企業の福利厚生みたいな感じで、使ってもらうようなサービスを提供しているんですか?

そうですね。いま血液検査が義務化されているじゃないですか。その血液検査の数字をもとに、その人の臓器がどれくらい病んでいるか、どういう病気のリスクがあるか。それから、どれくらいの医療費がかかる体になっているかという、医療費を出します。つまり、3割負担の金額と、会社負担の金額の両方を出します。普通は血液検査って、黄色信号になったら「要検査」とかが出るじゃないですか。でも、それに到達しないと皆健康だと思っているんですよね。

とりあえず数字高めだけど、引っかかってないわって。生活を特に変えようとは思わないわけですね。病んできているのに、そこを無視してしまう現状が今日本にあるので、どれくらいの臓器がどれくらい侵されているよっていうのを出すんです。いま自覚症状がないよね、でも今これくらい病んでいて、これくらい医療費がかかってくるよ、あなたの会社もこれくらい払う予定があるよ、と。なので、栄養と運動のアドバイスも含めて、検診の結果を返すというサービスをつくったんですね。

 

なるほど。最近結構、健康経営とかって注目されてますよね。

多分、健康経営って謳っていたら新入社員が来やすいとか、裏腹なところがあって。実際本当に社員の健康を考えているのかというと、まず秤がないので、その秤をつくりました。

今はそれをアプリ化して、フィットネスジムに行きたい、ヨガスタジオに行きたい、もしくは病院に行きたいっていったら、検査結果に基づいて。それをクリックすると、そこから電話がかかってくるみたいな、マッチングシステムをつくっているんです。

この秋にできる予定です。もう、特許の申請もしました。

 

いいですね。では最後にほかに何かメッセージがあればお願いします。

起業家精神や仕組み化の例で、スターバックスやマクドナルドなどの壮大な話をすると僕はそこまででかいのをやりたくないんだよっていう人がいるんですが、そうじゃないよね、と思います。僕みたいに1つの事業部を大きくする方法にも使えたし。これから大きく、また違うような、会社を大きくすることにも使えるし。

そうですよね。Amazonのジェフ・ベゾスもマクドナルドを参考にしたって言ってましたね。16歳のときにバイトをしていて、ケチャップがこぼれたらしいんですよ。先輩に、これはどうやって掃除すればいいですか?って聞いたら、マニュアルを渡されたっていう話があって。掃除マニュアルです。ジェフ・ベゾスが、これはすごいと。その先輩はマニュアルを渡すだけで、自分は自分の作業を黙々と続けてたと。

マニュアルを見ながら綺麗に掃除ができる。これはすごいなということで1クリック購入の発明ができたみたいですけどね。

やっぱり、気づく人がアンテナを広げて見ないといけないんだろうな、という感じがしましたね。

 

たしかに、そうですね。そこで気づくベゾスがすごいですよね。では、今日はどうもありがとうございました。

 

(インタビュー終わり)

 

まとめ

 

以上、いかがでしたでしょうか。

仕組み化のヒントが多数あったのではないかと思います。

・自分ではやりきれない部分を任せられる人を探す。

・そのためにも大きなビジョンを描く。

・自分個人のブランディングをするのではなく、ブランド名・社名を有名にしていく。

・既存事業を整えて、時代に合う新しいビジネスを立ち上げる。

など、いつも私たちがお伝えしていることをまさに実践されていました。