「お客様は神様です」は誰が言った言葉か
結論から書きます。歌手の三波春夫(みなみ はるお)氏の言葉です。1961年(昭和36年)に生まれました。
そして、よく誤解されている点を先に片付けておきます。
- 松下幸之助氏の言葉ではありません。「経営の神様」と呼ばれた人物なので混同されがちですが、別人の言葉です。松下氏は近い意味で別の言い方をしています(後述します)
- 企業の接客標語として生まれた言葉でもありません。舞台に立つ演者と客席との関係から出た言葉です
- 「お客様は神様です」という言い切りの形ですらありませんでした。元の発言は少し違います
順に見ていきます。
1961年、公演での司会とのやりとりから生まれた
初出は1961年春、関西地方であった公演の一幕です。司会の宮尾たか志氏から「座長、今日のこのお客様をあなたはどう思いますか」と問われました。これに三波氏が答えた言葉が始まりでした。
元の発言は「お客様は神様のようです」だった
三波春夫オフィシャルサイトに残されている記述によれば、このときの答えは次のものでした。
そりゃもう、ありがたい。お客様は神様のようです三波春夫オフィシャルサイト「『お客様は神様です』について」
「神様です」と言い切ってはいません。「神様のようです」です。ありがたい存在にたとえた言い方でした。この「ようです」が落ちた形で世に広まりました。断定形になった時点で、意味は元の発言から離れています。
「レツゴー三匹」によって広まった
この一言が大反響を呼び、その後の公演でも同様のやりとりを求められるようになりました。さらに漫才トリオ「レツゴー三匹」がこの場面を取り上げて大いに広め、「お客様は神様です」というフレーズが世に広まっていったのです。
つまりこの言葉は、本人が標語として掲げたものではありません。やりとりの一部が切り取られ、他者によって広まった言葉です。誤用が定着した理由の半分は、この成り立ちにあります。
三波春夫が言った「お客様は神様です」の本当の意味
三波氏自身は、このフレーズが商業主義的に使われるようになったことを危惧していました。本人が語った真意は次のものです。
歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております三波春夫オフィシャルサイト「『お客様は神様です』について」
読み取れることは1つです。この言葉は、客の立場の高さを語ったものではありません。演者である自分の心構えを語ったものです。神前で祈るときのような心になる、という主語は三波氏自身です。
三波氏の言葉の本当の意味
整理すると、三波氏の真意は次のようにまとめられます。
- 舞台に立つ時は、神々しい気持ちでまっさらな心でなければならない
- 歌手として観客の心を掴み、喜ばせることが使命である
- 舞台を観に来て料金を払ってくれる観客は「絶対者の集まり」
- お客様を敬う気持ちから「神様」と表現した
三波氏は歌手として観客を喜ばせることに人生を捧げ、常に新しい芸を追求する「求道者」のような生き方をしていました。その心構えの現れが「お客様は神様です」という言葉につながったと本人は説明しています。商業主義とは全く違う、芸と観客を尊重する気持ちが込められていました。
ここでいう「お客様」は聴衆のこと。商店や飲食店の顧客ではない
ここが最も重要な点です。三波春夫オフィシャルサイトは、この言葉における「お客様」が何を指すのかを明確に書いています。
それは聴衆・オーディエンスのことです。客席にいる観客と、ステージに立つ演者。この関係のなかから生まれたフレーズであって、商店や飲食店などの顧客を指した言葉ではありません。
つまり「お客様は神様です」を接客業の標語として使うのは、二重の意味で元の発言から外れています。
- 主語が入れ替わっている…演者の心構えの話が、客の権利の話にすり替わっています
- 対象が入れ替わっている…舞台の観客の話が、店舗の顧客の話にすり替わっています
「お客様は神様だろう」と店頭で言う人がいたとして、その言葉は三波氏の発言とはほぼ無関係です。この点を社内で共有しておくだけでも、現場の受け止め方は変わります。
松下幸之助氏が言った「お客様は王様」の意味
もう一人、「お客様は神様です」に近い言葉で知られている人物がいます。「経営の神様」ともいわれる松下幸之助氏です。
幸之助氏の発言集には、海外に行った際、提携先のフィリップス社の経営者が「わが社はお客様は王様と考えている」と発言したことを印象深く覚えており、その言葉を対談等で使ったという記述が残っています。
松下幸之助氏の言葉の本当の意味
ただし、幸之助氏は「お客様は王様です」という言葉を次のように解釈していました。
お客様を王様と呼ぶと、企業は顧客の要求を絶対的なものととらえ、盲目的に従う必要があるかのように受け取られがちです。しかし、顧客の声に耳を傾けすぎると、本当に顧客が求めているものを見失う可能性があります。理由は3つあります。
- 顧客は自分の欲求をうまく言語化できないことが多い
- 調査で得られるのは現在の顧客ニーズであり、新しい工夫の芽を摘んでしまう
- 一部の顧客の声に惑わされ、本当に大切なことを見落とす
顧客の声をそのまま神のように崇め過ぎると、かえって顧客満足度が下がる恐れがあります。
お客様は王様
幸之助氏は、顧客を敬うものの、一方的に顧客の要求に従うのではないと考えました。時には顧客の意見に異を唱えたり、諫言したりする姿勢が重要だという立場です。顧客を徹底的に尊重しつつも、企業は主体的に顧客をリードし、新しい価値を提供する必要がある。王様であるお客様が暴君ではなく名君になるように導くことが、販売者の役割と考えたのです。
顧客と企業はパートナーであり、お互いに影響を与え合う関係です。顧客の声に耳を傾けつつ、企業は自らの判断と責任で最適なものを提供し続ける必要があり、そのバランスが大切だと松下幸之助氏は説いていたと考えられます。
三波氏の「神様」と幸之助氏の「王様」は、言葉としては似ています。ただどちらも「客の言いなりになれ」という意味では使っていません。片方は演者の心構え、もう片方は売り手が主体性を持つべきという話です。
「お客様は神様ではない」という主張について
近年、カスタマーハラスメント(カスハラ)と呼ばれる顧客からの理不尽な要求が横行し、社会問題となっています。「お客様は神様」という古くからの言い回しが見直されるなかで、おもてなし文化についての考察が求められています。
一方、企業間の競争が激化するなかで、過剰なおもてなし合戦も問題視されています。顧客離れやSNS上での悪評を恐れた企業が、顧客を神様のように扱い、従業員の安全や健康を犠牲にする傾向があります。
政府や企業側もこの問題に対処するため、様々な対策を講じています。厚生労働省が企業向けの対策マニュアルを作成し、労災の認定基準にカスハラを新たな類型として追加するなど、対応が進められています。
おもてなしを足すほど顧客満足が上がるとは限らない
ここで押さえておきたい研究があります。顧客の満足を左右するのは、期待を超える感動体験よりも、顧客が使わされる手間の少なさだという考え方です。顧客努力指標と呼ばれます。
この見方に立つと、過剰なおもてなしは投資対効果が悪いことになります。手間を減らすほうが効きます。問い合わせのたらい回しをなくす。同じことを二度説明させない。返答を早くする。神様として扱うより、面倒をかけないほうが選ばれるということです。
誤用が定着するのは、現場の基準が空欄だから
ここが本記事で最もお伝えしたい点です。
理不尽な要求に現場が屈してしまう原因を、社員の気弱さや教育不足に求める説明をよく見かけます。この見方だと、打つ手は「強く言えるようにする」しかなくなります。
実際の原因は別のところにあります。どこまでが対応の範囲で、どこからが断る対象なのかを、会社が決めていないことです。基準が空欄なら、現場は目の前の客の声の大きさで判断するしかありません。断ったあとに上司から責められる可能性があるなら、なおさら断れません。
社員の性格の問題ではなく、判断の基準が用意されていないという構造の問題です。だから対策も、心構えではなく文書になります。
お客様との関係を良好にするために
以上、「お客様は神様です」という言葉について見てきました。これを踏まえて、お客様との関係を良好にするために何をすべきかを見ていきましょう。
理不尽なことを言ってくるお客様は切る
お客様に過剰な権威を認めすぎると、理不尽な要求や傲慢な振る舞いにつながりかねません。そういったお客様に対しては、きっぱりと対応を断る勇気が企業側に必要です。相手の非常識な言動を許容し続けることは、結果的に他のお客様の迷惑にもなります。従業員が不当な要求を丁重に断れる環境づくりが大切です。
「勇気」で終わらせないために、次の3つを文書にしてください。
- 断ってよい行為の一覧…暴言、長時間の拘束、契約外の要求、他の顧客への迷惑。具体的に書きます
- 断り方の型…最初の一言、上長に代わる基準、記録の残し方。クレーム対応マニュアルと同じ形で用意します
- 断った社員を守ると明記する…ここが抜けると、一覧を作っても現場は使いません
3つ目が最も大事です。基準を配るだけでは足りません。基準どおりに断った社員が評価されるところまで揃えて、初めて運用されます。
自社の理想の顧客像を明確にする
すべてのお客様を等しく神様視するのではなく、自社が理想とする顧客像を明確にする必要があります。商品やサービスの価値観を理解し尊重してくれる顧客、長期的な信頼関係を構築できる顧客などが該当します。顧客に合わせるのではなく、顧客が自社に合わせてくれることを期待できる関係を目指すべきです。
理想の顧客像は、印象ではなく条件で書いてください。業種、規模、抱えている課題、予算感、意思決定の速さ。書けるところまで具体的にします。判断に迷ったときは顧客生涯価値で見ると、目先の売上に引っ張られずに済みます。
その理想の顧客像に向けたメッセージを創る
理想の顧客像が定まれば、そうした顧客に向けたメッセージ戦略を構築します。単に売り込むのではなく、自社の価値観や想いを伝え、共感を呼ぶコミュニケーションが重要です。そうすれば自然と、自社のファンになってくれる顧客層が形成されていきます。
ここで使えるのがコアバリューです。何を大切にする会社かを先に言葉にしておくと、合わない顧客は自然に離れていきます。断る回数そのものが減ります。
社員を教育し、専門アドバイザーとしての知識や態度を身に付けさせる
お客様と対等に向き合うには、社員一人ひとりが高い専門性とアドバイザーとしての自覚を持つ必要があります。単なる販売員では不十分です。商品やサービスの知識はもちろん、顧客心理や対人コミュニケーションの技術まで身に付けさせる研修を重視すべきです。お客様に価値あるアドバイスを提供できるようになれば、対等な信頼関係が構築できます。
教育を人に任せると、教える人によって中身が変わります。マニュアルにして、誰が教えても同じ水準になる形にしてください。対応の型が揃えば、それ自体が業務の標準化になります。
「お客様は神様です」についてよくある質問
「お客様は神様です」は誰が言った言葉ですか?
歌手の三波春夫氏です。1961年春、関西地方の公演で司会の宮尾たか志氏に問われて答えたのが最初とされています。松下幸之助氏の言葉ではありません。
元の発言はどういうものでしたか?
「そりゃもう、ありがたい。お客様は神様のようです」でした。断定形の「神様です」ではなく「神様のようです」です。広まる過程で言い切りの形に変わりました。
本当の意味は何ですか?
演者である三波氏自身の心構えを語った言葉です。神前で祈るときのように雑念を払った心にならなければ、完璧な芸は見せられない、という意味でした。客の立場が上だという意味ではありません。
ここでいう「お客様」とは誰のことですか?
舞台を観に来た聴衆・オーディエンスのことです。三波春夫オフィシャルサイトが明記しています。商店や飲食店の顧客を指した言葉ではありません。
松下幸之助は「お客様は神様」と言いましたか?
言っていません。幸之助氏が使ったのは「お客様は王様」という言い方です。しかもその趣旨は、客の言いなりになれというものではありません。王様が暴君ではなく名君になるように導くのが売り手の役割だ、という考え方でした。
接客業でこの言葉を使ってもよいですか?
従業員側が自分の心構えとして使う分には、元の意味に沿っています。一方で、顧客が自分の立場を主張する根拠として使うのは、元の発言とほぼ無関係です。社内標語として掲げる場合は、どちらの意味で使うのかを明記してください。
カスハラにはどう備えればよいですか?
断ってよい行為の一覧、断り方の型、断った社員を守るという明記。この3点を文書にすることが出発点になります。厚生労働省も企業向けの対策マニュアルを公開しています。


