「社長の右腕」が組織を壊す3つの理由と対処法



清水直樹

社長なら”自分の右腕が欲しい”と思ったことが一度や二度はあるでしょう。今日はこの考え方が危険な理由と対処法を”三国志”から学んでいきます。

 

動画でも解説しています。

社長の右腕とは?

「社長の右腕」とは、会社の中で実質的に社長の次に影響力がある人物のことを指します。これを「No.2(ナンバーツー)」という呼び方をすることもあります。

社長の右腕は成功するのに必須?

シリコンバレーでは、社長の右腕=共同創業者である場合も多く、皆さんがよくご存知の成功した会社もあります。例えばアップルコンピュータは、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックという「2人のスティーブ」がいたことで知られていますし、マイクロソフトではビル・ゲイツとポール・アレンが創業者として名を連ねています。

日本の製造業でも、ソニーは盛田昭夫さんと井深大さん、本田は本田宗一郎さんと藤沢武夫さんのコンビが知られています。このように、「社長の右腕」が存在することで成功・成長した企業の実例は確かに多いのです。

ところが、この「社長の右腕」が存在することでかえって問題が起こっている会社というのもあるのです。今回は「社長の右腕」が組織を壊す3つの理由と、その対処法についてご説明をしていきます。

「右腕が欲しい」という想いが危険な3つの理由

先ほど挙げた成功例を見て、経営者の中には「うちも自分の分身となる右腕がいたら楽になるのにな」ということで、右腕の育成を目指したり、N0.2となる人材を探しているという人もいらっしゃるかと思います。

まず、皆さんが思っている「社長の右腕」のイメージとはどのようなものでしょうか?例えば社長、つまり皆さん自身の直下に「社長の右腕」がいて、会社の管理業務など「自分がやりたくないことを代わりに担ってくれる人」としてポジショニングする、そういう組織を理想として描いている方が多いのではないでしょうか。

しかし、このようなパターンは、会社にとって非常に危険になることがあるわけです。その理由を3つ挙げて解説していきます。

右腕の離脱

まず1つ目が、「社長の右腕」が離脱する可能性があるということです。当然ながら「社長の右腕」も自分の意思を持った1人の人間です。ですから、何かをキッカケにして別の会社で働こうと考えてしまう可能性もあるわけです。あるいは家族の事情や病気など、やむを得ない理由で離脱してしまうことも考えられます。

そうすると、社長自身が「社長の右腕」のポジションに収まって、これまで任せていた業務を全部自分でやり始めることになってしまいます。ですから、「社長の右腕」を置いたとしても、その人に依存していると会社の未来にとって不安定要素となるわけです。

社長の右腕に依存する危険性

先ほどシリコンバレーの成功例を出しましたが、あの人たちは基本的に共同創業者という立場なので、多くは会社の所有権を持っています。要するに、株を持っている可能性が高いわけです。この場合「社長の右腕」となる人たちは、社長とほぼ同じ立場であることが多いのです。

しかし、おそらく中小企業で「社長の右腕」が欲しいという場合、所有権は社長が持っていて、「社長の右腕」は社員として頑張ってほしいということが多いと思います。そういうケースだと、「社長の右腕」が離脱しても文句は言えません。ですから、「社長の右腕」への依存度が高くなると、その人たちが離脱した時に困難に直面するわけです。

右腕との対立

2つ目が「社長の右腕」との対立です。これは、株を持っている共同創業者であるとか、株を持たない社員であるとか、そういうことにかかわらず、仲違いして会社が崩壊していくというパターンがあるわけです。

先ほどの事例で挙げた会社というのは、極端な言い方をすると、たまたま共同創業者の関係がうまくいったから有名になったわけで、世の中には共同で創業したのに対立してしまって、会社が崩壊して世に出ることなく終わっていったケースが山ほどあるのです。うまくいった事例だけに目を向けないようにしていきましょう。

右腕の放任

3つ目が「社長の右腕」の放任ということで、実はこれが結構多いパターンなのです。実態として、「社長の右腕」以下のポジションを全て「社長の右腕」が見ている組織の場合、この右腕の放任が起こりがちです。

「社長の右腕」が優秀であればあるほど、社長としては非常に楽になるわけです。社長が見切れない組織の部分を「社長の右腕」が見てくれるわけですから、社長はめちゃくちゃ自由になって、会社の将来像を考えたり、新規事業を開拓することができるようになります。

一方で、社長にとって組織がブラックボックス化してしまい、現場で何が行われているのか分からないということになってしまう可能性もあるわけです。そうすると、社長としては「社長の右腕」に全て任せていたつもりでも、いつの間にか自分が思い描いていた基準で仕事が行われていなかったり、自分が望んでいた会社の文化ではなくなってしまうことがあるのです。

”社長の会社”ではなく、”右腕の会社”になってしまう

「社長の右腕」が優秀で、影響力が高ければ高いほどそうなりがちです。社長の持つ基準や、社長が掲げた価値観で組織を運営するのではなく、「社長の右腕」の基準や価値観で事業が行われることになるので、社長としては、自分でつくった会社なのにもかかわらず、いつの間にか自分の会社ではないような感じになってしまうわけです。

このようなパターンは結構多く見られるので、非常に注意が必要です。なぜそうなってしまうかというと、結局、社長が「社長の右腕」に依存してしまっていること、これが原因になるわけです。

右腕に依存せず、会社を安定させるには?

では、どうやって「社長の右腕」に依存せず、うまく会社を安定させていくのかという話をしていきます。

『三国志』に学ぶ対処法

ここで参考として挙げたいのが『三国志』です。Amazonに『三国志 Three Kingdoms』という、97話のドラマがあります。もちろんエンタメとしても面白いのですけれども、3つの国それぞれの指導者のスタイルやリーダーシップの取り方が違うということで、ビジネスにも役に立つ面があるのです。

ご存知ない方のために前提知識をお伝えしておきますと『三国志』というのは、魏・呉・蜀という3つの国の争いが物語の中心になっています。登場人物として一番有名なのは蜀の王様、劉備玄徳です。彼は人徳者であるリーダーとして知られています。そして、魏の曹操、呉の孫権という王様が登場します。孫権は、ほかの2人と比べると知名度が低いのですが、今回はこの孫権の話を取り上げます。

後継王である呉の孫権がいかに国を治めたか?

呉という国は、もともと孫権のお父さんである孫堅がつくった国なのですが、孫堅は戦死してしまいます。そこで孫権のお兄さんの孫策が王位を継いだわけですが、孫策も間もなく亡くなってしまうのです。そして孫権は、まだ20代前半という若さで王位につきました。

これを聞いただけで「結構大変な状況だな」と感じる経営者の方もいらっしゃのではないでしょうか。若くしてたまたま国を継ぐことになってしまったということで、2代目、あるいは3代目の社長が同じような状況で会社を継いだケースと重ねられるかと思います。

孫権の右腕となった周瑜

孫権が呉という国をマネジメントしていくに当たって、右腕となる存在がいました。それが周瑜(しゅうゆ)という有名な軍師です。『三国志』の中でも、諸葛亮と周瑜のライバル関係は結構知られています。周瑜は、孫権が王位につく以前から呉に支えてる軍師で、かなりの影響力を持っていました。要するに、孫権を社長、周瑜を「社長の右腕」に例えることができるわけです。



影響力のある右腕の存在

ドラマの中では、いろいろな衝突が生まれます。その1つが孫権と周瑜の主導権争いで、周瑜は孫権の指示を仰ぐことなく軍を動かしてしまったりするわけです。周瑜という人物は軍部を掌握していて、将軍たちは孫権の言うことよりも周瑜の言うことを聞くようになってしまっているのです。

これが先ほど例に挙げた「右腕の放任」です。「社長の右腕」に全て任せてしまったことによって、「社長の右腕」が組織を自分の思い通りに染めていくということが起こってしまっているわけです。

自分が王様であるにもかかわらず、周瑜に影響力では負けていて、国を自分の思い通りに動かせないとうことで、孫権は非常に悩むわけです。このように「社長の右腕」の罠にはまっているのが呉という国だったのですが、同じような悩みを抱えている社長は結構いるのではないでしょうか。

組織の構造改革

その後、どうやって孫権は呉を治めていったのか、ここに皆さんにも役に立つヒントが隠されています。孫権は統治の構造をつくり直していったわけです。つまり、周瑜が「社長の右腕」として全てを握っている状態ではうまくいかないことが分かってきて、組織の構造を変えていくのです。

右腕に依存したと組織から脱却する
右腕に依存した組織から脱却する

右腕を3人にした

周瑜は軍を掌握するポジションに就けたままなのですけれども、新たに2人の重臣を自分の味方として置くわけです。そのうちの1人が、父親の代から呉に仕えていた張尚という人です。この人は武将というよりも、どちらかというと管理業務、会社で言うと総務のような職務を担っていて、この人を内政のトップに据えることにします。

こうして、周瑜と張尚というツートップ体制することによって、周瑜が全てを思いのままにすることができなくなりました。さらにもう1人、魯粛(ろしゅく)という人を重用することになります。魯粛は軍事のことも内政のこともある程度分かっている人物で、社長の補佐役のようなポジションに就くわけです。

要するに、周瑜・張尚・魯粛というスリートップ体制にしたことで、孫権はようやく王としての威厳や影響力を持つことができるようになって、呉という国もまとまり始めたわけです。

ツートップ、スリートップ体制で組織を安定させる

この『三国志』のエピソードから得られる教訓としては、このように「社長の右腕」に全てを掌握させるような組織づくりは絶対にやってはいけないということです。そうすると、必ず先ほど申しあげたような対立や放任が起こりますので、非常に危険な体制になってしまいます。

そうではなく、できれば3人、少なくとも2人を自分の下に置き、その上で誰かもう1人、魯粛みたいな人を入れるというのが、安定した経営を目指すためには非常に大事になるのです。多くの経営者は「社長の右腕」を育てようとして、自分と気が合う人や能力の高い人、自分の言うことを聞いてくれそうな人を探してしまいます。しかし、それではコントロールできないわけです。

もちろん人を見極めることは大事なのですけれども、自分が会社をコントロールできるようにするためには、その仕組みを自分でつくり上げなくてはいけません。

社長の右腕に依存させるのでなく、仕組みに依存させる

というわけで今日は、”社長の右腕”について見てきました。話をまとめますと、

  • 社長の右腕はいたほうが楽だが、危険もある。
  • 最たる危険は、経営が右腕に依存し、彼の存在無くして会社が回らなくなってしまうこと。
  • そうならないために、右腕に依存にしない組織と仕組みを創る。

となります。

「社長の右腕」に依存してしまうのではなく、自分がコントロールできる範囲で安定した構造をつくり、そこに人を当てはめていくという発想で、「社長の右腕」が存在する経営の仕組みをつくっていくことを目指しましょう。

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