- 1 論語とは
- 2 学びて時に之を習ふ
- 3 巧言令色
- 4 吾が身を三省す
- 5 千乘の國を道むる
- 6 富みて驕ること無し
- 7 人を知らざるを患う
- 8 衆星の之に共かふが如し
- 9 思い邪なし
- 10 之を道びくに德を以てし
- 11 四十にして惑わず
- 12 温故知新
- 13 而る後に之に従う
- 14 学んで思わざれば則ち罔し
- 15 知らざるを知らずとせよ
- 16 直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、則ち民服せん
- 17 義を見てせざるは勇無きなり
- 18 人にして不仁ならば、樂を如何せん
- 19 富と貴ときとは、是人の欲むる所なり
- 20 過ちを觀て斯に仁を知る
- 21 朝に道を聞いて、夕べに死すとも可なり
- 22 君子は徳を懐い、小人は土を懐う
- 23 位無きを患えずして、立つ所以を患う
- 24 徳は孤ならず、必ず隣あり
- 25 君子の道四有り
- 26 文質彬彬として、然る後に君子なり
- 27 之を知る者は之を好む者に如かず
- 28 道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ
- 29 之を知らしむ可べからず
- 30 民信無くば立たず
- 31 君君たれ
- 32 君子は人の美を成して、人の悪を成さず
- 33 近き者説び、遠き者来る
- 34 和して同ぜず
- 35 遠き慮りなければ必ず近き憂いあり
- 36 まとめ:良い人格が良い会社を創る
論語とは
論語(ろんご)は、孔子(Confucius:紀元前551年~)の言行録を集めた書物です。孔子の弟子たちとの対話や教訓が記されており、人間関係や道徳、政治などに関する知恵や教訓が含まれています。
経営者の中でも古典を学んでいる人は多いと思います。数ある古典の中でも、論語は古典を学ぶ経営者にとって必須と言える書物でしょう。渋沢栄一氏が「論語と算盤」と言ったように、人間学を学ぶ書物として知られていますが、正確には儒教思想の教典的な存在である四書五経の一つです。
また、論語=孔子が書いたもの、と思われている節もありますが、孔子が書いたものではありません。孔子の死後、何百年とかかって弟子たちが編纂した書物になります。
論語を読む前に知っておきたい君子と小人の違い
論語を読む前提知識として、君子と小人の違いがあります。君子はなんとなく偉い人、出来た人間というイメージがあると思います。いっぽうの小人はどうでしょう。文字からして大したことのない人物、と思うかも知れませんが、そうとも限りません。
人物を評価するにあたって、「徳」を持っているか、「才」を持っているかの二つの軸があります。君子は「徳」を持っている人物であり、小人は「才」を持っている人物とされています。論語的(儒教)には、才よりも徳のほうが重視されているため、君子のほうが人として上位に扱われています。
他にも聖人や愚人などのカテゴリーがあります。詳しくは以下の記事に載せております。
さて、本記事では、論語の数ある章句の中から、特に企業経営者が知っておきたいものをピックアップし、解説していきます。なお、論語の解釈は人それぞれであり、本記事での解説も、解釈の一つだと思ってご覧ください。
学びて時に之を習ふ
書き下し文:子曰く、學びて時に之を習ふ、亦說ばしからずや。朋あり遠方より來る、亦樂しからずや。人知らずして慍まず、亦君子ならずや。
現代文:師の教えてくれたことを学び、いつも繰り返して自分の身につける。なんと喜ばしいことだろう。同じ志をもつ友達が遠くからでもやってきて一緒に学ぶ。なんと楽しいことだろう。たとえこうした生き方を他人がわかってくれなくても、気にかけたりはしない。それこそ君子といえるのではあるまいか。
「学びて時に之を習ふ」解説
論語の最初の篇である「学而篇」。その「学而篇」の最初の章句がこちらです。ちなみに論語は計20編ありますが、各編のタイトルは全て、各編の最初の章句の頭文字をとったものになっています。学而篇は、本章句から始まるため、原文の学而時習之から学而を取って学而編と付けられています。
さて、本文の意味は現代文を見ればわかります。学問の楽しさを示す一文です。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、好きというレベルのさらに先に、”楽しい”という境地があると言います。対象を楽しむことが出来れば、他の誰も真似できないほど上手になれるということです。
「朋あり遠方より來る」も有名な言葉です。これは単に、志を同じくする人が訪ねてくることの喜びを示した言葉とも言えますが、さらに深読みすると、自分の学問が遠方まで届くと、朋が訪ねてくるようになるということでもあるでしょう。「徳は弧ならず(徳がある人は孤独にはならない)」という別の名文に関連する意味合いとも解釈できます。
巧言令色
書き下し文:子曰く、巧言令色、鮮し仁。
現代文:巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、仁の心が欠けている。
「巧言令色」解説
詐欺師ほど言葉が上手いと言われますが、それを示した文です。経営者としては、言葉だけが上手い部下、または求職者、取引先などには注意しなければいけません。同様に、自己の風体や言動を振り返ることが大切でしょう。
吾が身を三省す
書き下し文:曾子曰く、吾れ日に吾が身を三省す、人の爲に謀つて忠ならざるか、朋友と交りて信ならざるか、習はざるを傳ふるか。
現代文:私は毎日、自分の行いについて何回となく反省している。その反省の内容は、第一に、人のためを考えて心を尽くさなかったのではないか、友人と接していて信義に欠けるようなことをしなかったか。学んでいて、まだよく身につけていないのに人に教えていないか。こうした反省によって私は日々成長していきたい。
「吾が身を三省す」解説
「吾が身を三省す」も論語の中では最も知られた名言の一つでしょう。三省堂の名称はここから来ています。
経営者が三省するための自問事項として、以下のように解釈できます。
- リーダーシップの質問: 私はチームや組織のために最善を尽くしていますか?私の決定や行動は、他の人々にとってポジティブな影響を与えているでしょうか?
- 信義と誠実さの問題: 私はビジネス取引や人間関係において、信義と誠実さを持ち続けていますか?他人との関係において信頼を築くために何をしていますか?
- 持続的な学びと成長: 私は新しい知識やスキルを積極的に学んでおり、それをメンバーに共有しているでしょうか。また、自分が出来ていないこと相手にするように求めていないでしょうか。
千乘の國を道むる
書き下し文:子曰く、千乘の國を道むるには、事を敬して信、用を節して而して人を愛し、民を使ふに時を以てす。
現代文:千乗の兵車を出しうる国を治めるには、政事(まつりごと)を慎んで行うと国民から信頼を得ることができる。国費を節約して、広く国民を愛し、民を国の為(国役)に従事させるときは、農閑期を利用するように心がける。
「千乘の國を道むる」解説
この章句からは、政治に携わる者は、人民を理解しなければならぬ、ということがわかります。人民が農業で忙しいときには国の労働に駆り出させるな、ということです。経営者の場合、人民は社員ということになるでしょう。社員の心情や生活、仕事ぶりをよく理解し、適切な指示や仕事を与えることが大切です。
富みて驕ること無し
書き下し文:子貢曰く、貧しうして諂ふことなく、富みて驕ることなきは、如何。子曰く、可なり、未だ貧しうして樂み、富みて禮を好む者に如かざるなり。子貢曰く、詩に云く、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ斯れの謂か。子曰く、賜や、始めて與に詩を言ふべきのみ、諸に往を吿げて來を知る者なり。
現代文:子貢は孔子に質問をしました。「貧しくてもへつらうことがなく、豊になってもおごることがないのはいかがでしょうか?」
孔子は答えます。「良いと思う。しかし、貧しくても学問を好み、豊でも礼を全うする人には及ばないと思うよ」
子貢はさらに質問します。「詩経に、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』と書いているのは、まさにこのことを言っているのでしょうか?」
孔子は答えます。「子貢よ、それでこそ詩について一緒に語り合えるというものだよ。お前は一を聞いて十を理解する男だ」
「富みて驕ること無し」解説
『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』とは、学問や道徳の修得には、これでいいという限界がない、ということです。文字通り、切磋琢磨の語源となった言葉です。切磋琢磨は、学問・道徳に、励みに励むこと。また、仲間同士互いに励まし合って向上することを指します。
経営者として成功している場合でも、他者に対する尊重と謙遜を忘れず、自己満足に陥らないことが求められます。一方で、貧しさや富裕が人間の価値を決定するものではなく、学問や礼儀を大切にすることが真の価値を生み出すとされています。
また、詩経の一節についての議論は、学び続け、自身を向上させる姿勢を持つことの重要性を示しています。経営者としては、常に自己改善を促進し、他者と共有することで、組織全体の成長を促進することができます。この章句は、謙虚さ、学び続ける姿勢、他者との尊重を大切にすることが、リーダーシップと組織の成功に繋がることを教えています。
人を知らざるを患う
書き下し文:子曰く、人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふ。
現代文:人が自分のことを正しく理解してくれないことを思い悩んでもしかたない。それよりも、自分が人を正しく理解していないことを心配すべきである。
「人を知らざるを患う」解説
意味は現代文のとおりですが、別の解釈もあります。それは、「自分が人から認められないというのは自分の悩みではない。認められるような点がない、ということこそ悩みである」というものです。これは吉川幸次郎氏の解釈です。
いずれにしても、経営者にとっては非常に教訓となる章句です。なぜ社員は自分の言うことを理解してくれないのだ、という社長は多いと思います。しかしそれは憂うべきことではなく、自分が社員のことを理解していないことを憂うべきだ、ということです。社員のことを理解していないために、彼らの心に刺さることを言えない。だから社員は自分の言うことを理解してくれない、ということなのです。
また、吉川氏の解釈に依った場合であっても、顧客や社員が自分のことを理解してくれない、認めてくれないということは憂うべきことではない。自分が他人から認められるようなリーダーではないことこそ憂うべきだ、となります。
衆星の之に共かふが如し
書き下し文:子曰く、政を爲すに德を以てするは、譬へば北辰の其の所に居て、衆星之に共ふが如し。
現代文:徳を用いて政治を行うとする。それは、北極星を中心としてその周りを星がめぐるようなものである。
「衆星の之に共かふが如し」解説
政治を北極星による比喩で表現した文。政治のリーダーは徳を中心とした統治を行うことで、あたかも北極星の周りの星が秩序だって回るように天下も円満に治まる、ということです。この比喩をそのまま取るならば、経営のリーダーはあちこちと飛び回るのではなく、自らの人徳を高めることによって、無為の統治、指導者が無欲、無私、無私利私欲であるべきだという考え方になります。具体的には、指導者が過度な干渉をせず、自然の流れに任せ、人々が自発的に善行を行うことを促進するを実現することが理想ということになります。実際、そのスタイルが有効かどうかは状況によるでしょう。
思い邪なし
書き下し文:子曰く、詩三百、一言以て之を蔽む、曰く、思邪なし。
現代文:詩経三百編の詩は種々様々であるが、もし一言で全部を蔽い尽くせというならば、思うところに邪念がないということに尽きる。
「思い邪なし」解説
詩経とは、論語と同じく儒教の重要な書物「四書五経」のひとつ。儒教において詩は重要視されており、人々の感情や風情を理解するために学ぶべきものとされています。「思い邪なし」は稲盛和夫氏の伝記のタイトルにもなっている言葉です。
之を道びくに德を以てし
書き下し文:子曰く、之を道くに政を以てし、之を齊しうするに刑を以てすれば民免れて而して恥無し。之を道くに德を以てし、之を齊しうするに禮を以てすれば、恥ありて且つ格す。
現代文:法律制度だけで民を導き、刑罰だけで秩序を維持しようとすると、民はただそれらの法網をくぐることだけに心を用い、幸にして免れさえすれば、それで少しも恥じるところがない。これに反して、徳をもって民を導き、礼によって秩序を保つようにすれば、民は恥を知り、みずから進んで善を行なうようになるものである。
「之を道びくに德を以てし」解説
儒教的な統治方法を端的にまとめた章句です。儒教では統治者の徳を重視するため、会社を上手く経営するには何よりも経営者の徳が大切であると説きます。一方、韓非子に代表される法家の思想では、法による統治をすることによって、属人的なリーダーシープに依存しないことを説いています。
会社経営においては、両者を活用することになります。リーダーが徳を積むことも重要ですが、社内の法を定めることも欠かせません。社員がそれを守ることによって、成果を出すことができ、自己成長につながるようにするような法を創ることが大切です。
関連する記事として以下を挙げておきます。
四十にして惑わず
書き下し文:子曰く、吾十有五にして學に志す、三十にして立つ、四十にして惑はず、五十にして天命を知る、六十にして耳順ふ、七十にして心の欲むる所に從ひ、矩を踰えず。
現代文:私は十五歳のとき学問に志を立てた。三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。四十歳になると、心に迷うことがなくなった。五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった
「四十にして惑わず」解説
これも孔子の言葉の中で最も知られたもののひとつ。勘違いされがちなのは、15歳の時に学問を始めた、と解釈されることです。孔子はもっと幼少のころから学問にはげんでいます。したがって、「私は十五歳のとき学問に志を立てた」というのは、学問の道にまい進することによって人々に貢献しようと決めた、と解釈するのが正しいでしょう。
さて、経営者もこれに倣って人生計画を立てねばなりません。人生計画は事業計画、経営計画の基盤になるものです。人生計画無くして、経営計画はあり得ません。このことについては下記の記事でより詳しく解説しています。
子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。
温故知新
書き下し文:子曰く、故きを溫めて新しきを知れば、以て師爲る可し。
現代文:昔のことをよく研究し、それを参考に今つき当たっている問題や新しいことがらについて考えることが大切である。
「温故知新」解説
温故知新の語源となった章句です。歴史について習熟することが物を教える者の条件であると書かれています。私の師匠のマイケルE.ガーバー氏によれば、全ての会社は社員を生徒とした学校です。そして、校長が社長ということになります。したがって、社長は歴史を知らなければならない、となります。世界で最も長い歴史を持つ我が日本国の歴史はもちろん、業界の歴史や、後継社長であれば創業時からの自社の歴史について十分に理解していることは社員を率いるうえで欠かせないことです。
而る後に之に従う
書き下し文:子貢、君子を問ふ。子曰く、先づ行ひ、其の言は而る後之に從ふ。
現代文:子貢が君子はどんな人かと問うた。それに対して孔子が答えた。あることについて、あれこれ言う前に先ず行うこと。行った後に、言うことがあれば言う。
「而る後に之に従う」解説
君子たる者、不言実行を肝に銘じよ、ということになります。これが現代経営に有効かどうかは意見が分かれるところでしょう。ただ、自らやったことのないことについてアレコレしゃべるな、と解釈すれば良く理解できます。
学んで思わざれば則ち罔し
書き下し文:子曰く、學んで思はざれば則ち罔し、思うて學ばざれば則ち殆ふし。
現代文:教わるばかりで、自分で考えることが少ないと力はつかない。自分で考えてばかりで、人に学ばないようだと、考えが偏るので危険このうえない
「学んで思わざれば則ち罔し」解説
これも有名な章句。自己の考えを持ちつつも、謙虚さを持って学び、周囲との協力を大切にし、変化に適応する姿勢を持つことで、組織の成長と成功に貢献することができるでしょう。
知らざるを知らずとせよ
書き下し文:子曰く、由、女に之を知ることを誨へんか。之を知るを之を知ると爲し、知らざるを知らずとせよ、是れ知れるなり。
現代文:由よ、お前に『知る』ということを教えてあげよう。きちんと知っていることを”知っている”とし、きちんと知らないことは”知らない”としなさい。これが知るということだ。
「知らざるを知しらずとせよ」解説
知っていることと知らないことの境目を知ることは、学習するにあたって非常に重要なことです。経営者は自己認識がとても大切です。自身の得意分野や弱点を正確に理解し、得意なことを生かし、知らないことは弱点は進んで助けを求めることです。
直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、則ち民服せん
書き下し文:哀公問うて曰く、何を爲せば則ち民服せん。孔子對へて曰く、直きを擧げて諸を枉れるに錯けば、則ち民服す。枉れるを擧げて諸を直きに錯けば、則ち民服せず。
現代文:魯の君主、哀公が尋ねた。どうすれば人民が従ってくれるのだろう。孔先生がこれに応えておっしゃった、正しい人を登用して、不正を行う人の上に配置すれば、人民は従うだろう。不正を行う人を登用して、正しい人の上に配置すれば、人民は従いません。
「直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、則ち民服せん」解説
人材配置、登用についての章句。解説の必要はないと思われます。
人材登用については以下もご参考に。
義を見てせざるは勇無きなり
書き下し文:子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ふなり、義を見て爲ざるは勇なきなり。
現代文:祭る理由のない神々を祭るのは、へつらいである。勇気を持って人として行うべきことを行うべきだ。
「義を見てせざるは勇無きなり」解説
2文から成り立っていますが、意味はつながっていません。伊藤仁斎によれば、この二つの事柄は心の弱い人間が犯しがちなことだから一緒になっているとのことです。祀る必要のない神々というのは自分の先祖の神々のことです。儒教では五常五倫という概念があり、五倫は父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友を大事にせよということです。そのため、自分の先祖を大切にする考えが儒教にはあります。そのため、先祖とは関係のない神を祭る必要はない、ということなのでしょう。ちなみに日本人も儒教の影響を受けてはいますが、八百万の神と言われるように、身近な神だけではなく、全てを平等に神々として祀るという特徴があります。
人にして不仁ならば、樂を如何せん
書き下し文:子曰く、人にして不仁ならば、禮を如何せん、人にして不仁ならば、樂を如何せん。
現代文:もし人において人を敬う心がなければ、いかに儀礼を形式的に行っても何になるのだろうか。もし人において人を敬う心がなければ、祭礼の歌舞を行っても何になるのだろうか。
「人にして不仁ならば、樂を如何せん」解説
いくら礼儀正しくても、心に仁(愛)がなければ、何も意味がない、ということです。会社においては、経営理念がこのようになっていないか要注意です。理念が必要だからと、美辞麗句を並びたてた理念を作っても、それが経営者の本心や原体験から来ていなければ何の意味もない理念になります。
富と貴ときとは、是人の欲むる所なり
書き下し文:子曰く、富と貴きとは、是れ人の欲むる所なり、其の道を以てせざれば、之を得るとも處らざるなり。貧しきと賤しきとは、是れ人の惡む所なり、其の道を以てせざれば、之を得るとも去らざるなり。君子仁を去つて惡んぞ名を成さむ。君子は終食の閒も仁を違ること無し、造次も必ず是に於てし、顚沛も必ず是に於てす。
現代文:富と身分は人の欲しがるところだ。正道でなければそれを得たとしても長くは居られない。貧と賤は人の憎むところだ。正道でなければたとえそうなってもそこから去ることはない。君子が仁を忘れてどうして名を成すというのか。君子は食事の間も仁に違うことは無く、慌ただしい時でも、躓いて倒れそうな時でも、必ず仁において行動する。
「富と貴ときとは、是人の欲むる所なり」解説
富や身分の獲得は、正しい手段や方法で得られるべきだと示唆されています。不正や不当な手段で成功を収めた場合、その状態が継続することは難しいとされています。君子が終食の間も仁に違わず、慌ただしい状況でも必ず仁を守るとされています。経営者も一貫性を持って、企業の理念や価値観を実践し続けることが大切です。変化や困難があっても、信念を持ち続けることが組織の方向性を明確にし、従業員やステークホルダーに安心感を与えます。
過ちを觀て斯に仁を知る
書き下し文:子曰く、人の誤や、各〻其の黨に於てす、過を觀て斯に仁を知る。
現代文:ひとの過ち、過失は、それぞれその身近な人や仲間において起こるものだ。したがって、過失の内容を観察すると、その人の心のありよう、心根を知ることができる。
「過ちを觀て斯に仁を知る」解説
経営者であれば、失敗は付き物と言えるかもしれません。事業全体の失敗もあれば、人選の失敗、金銭面の失敗など様々なあります。この章句では、その人がどのような過ちを起こしたかを見れば人が分かるとあります。具体的にいえば、君子は人情が厚いために過ちを犯し、小人は人情の薄いために過ちを犯します。あなたが過去に犯した過ちはどちらが原因となっているのか、振り返ってみると良いでしょう。
朝に道を聞いて、夕べに死すとも可なり
書き下し文:子曰く、朝に道を聞いて、夕に死すとも可なり。
現代文:朝、真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない。
「朝に道を聞いて、夕べに死すとも可なり」解説
これも最も有名な章句の一つ。一般には死を前にした悲愴な考えとされていますが、異なる解釈も存在します。それによれば、孔子は死を恐れるよりも、現実の生きているうちに真理を学ぶことが重要であると教えていたとされています。人間の根本を知らずに生きていても意味がないと考えていたのかもしれません。
経営者にとっても、短期的な成功や安楽にとらわれるのではなく、持続可能な成功を築くためには、常に学び続け、真理や道を追求する姿勢が重要です。成功や挫折、そして死を前にしても、学び続けることが人間としての成長や企業の発展に繋がります。
君子は徳を懐い、小人は土を懐う
書き下し文:子曰く、君子德を懷へば、小人土を懷ふ、君子刑を懷へば、小人惠を懷ふ。
現代文:上に立つ者がつねに徳に心がけると、人民は安んじて土に親しみ、耕作にいそしむ。上に立つ者がつねに刑罰を思うと、人民はただ上からの恩恵だけに焦慮する。
「君子は徳を懐い、小人は土を懐う」解説
上に立つ者、すなわち経営者やリーダーが徳に心がけることが強調されています。徳は、高潔さや倫理的な行動、誠実さなどを指します。経営者が徳を重んじることで、人民は信頼し、尊敬する対象となります。 一方で、経営者が刑罰や厳しい統制に焦点を当てると、人民は単なる規律や懲罰に恐れを感じ、創造的な発想や協力心が奪われる可能性があります。上からの圧力や厳しい処罰が支配的な場合、組織内の雰囲気は緊張感に満ち、従業員はただ恩恵を受けることに焦慮し、自発的に積極的な行動を起こしにくくなります。
位無きを患えずして、立つ所以を患う
書き下し文:子曰く、位無きを患へず、立つ所以を患へよ。己を知ること莫きを患へず、知らるべきを爲すを求めよ。
現代文:自分に地位が与えられないことを心配するより、自分に実力がないことを憂えよ。自分が周りから認められないことを心配するより、どうしたら認められるかを考えて努力することだ。
「位無きを患えずして、立つ所以を患う」解説
松下幸之助氏は、常に世間は正しいと思って行動することを心がけていたそうです。自社の商品が売れないのは単純に商品に魅力が無いからというわけです。また、社長の中には、社長という地位を認めたもらいたいという気持ちや、社員から認められたい、流石だと思われたい、という気持ちが強すぎる社長がいます。このような社長は過度な自尊心があり、それが時に過剰な業績志向や社員への圧力につながる可能性があります。
徳は孤ならず、必ず隣あり
書き下し文:子曰く、德孤ならず、必ず鄰あり。
現代文:徳のある者は孤立することがなく、理解し助力する人が必ず現れる。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」解説
これも有名な章句です。ロクな社員がいない、と嘆く社長がいるかもしれませんが、そういう人は自分に徳がないのです。徳を身に付けた人の周りには、徳の在る社員や求職者が集まります。社長の徳は経営理念や会社の価値観(コアバリュー)として表現され、それに共感する人が集まるのです。顧客や取引先についても同じことが言えます。
君子の道四有り
書き下し文:子子產を謂ふ、君子の道四あり、其の己を行ふや恭、其の上に事ふるや敬、其の民を養ふや惠、其の民を使ふや義。
現代文:子産は、為政家の守るべき四つの道をよく守っている人だ。彼はまず第一に身を持すること恭謙である。第二に上に仕えて敬慎である。第三に人民に対して慈恵を旨としている。そして第四に人民の使役の仕方が公正である。
「君子の道四有り」解説
経営者として成功するためには、四つの原則を守ることが不可欠であるとされています。
- 身を持すること恭謙である: 経営者は謙虚であることが求められています。自己誇示や高慢な態度ではなく、謙虚な態度を持つことで、信頼を築き、周囲との協力関係を強化できます。
- 上に仕えて敬慎である: 経営者は、自らがリーダーであると同時に、他の指導者や上司に対しても尊重と敬意を持つべきです。敬慎の態度が協力関係を深め、組織全体の調和を促進します。
- 人民に対して慈恵を旨としている: 経営者は、従業員や社会全体に対して慈愛の心を持ち、人々の幸福や繁栄に寄与することが求められます。人々への理解と思いやりが、組織の社会的責任を果たす一環となります。
- 人民の使役の仕方が公正である: 公正であることが経営者にとって不可欠です。従業員や関係者に対して公平かつ正義の原則に基づいた取り組みが、組織内の信頼を構築し、持続可能な成功に繋がります。
文質彬彬として、然る後に君子なり
書き下し文:子曰く、質文に勝てば則ち野なり、文質に勝てば則ち史なり、文質彬彬として、然る後に君子なり。
現代文:実質のほうが外面である文飾より勝ると品がなくなってしまう。文飾のほうが実質より勝ると、飾りが多くて実が少ない。実質と外面である文飾とがほどよく調和がとれて、はじめて君子と言える。
「文質彬彬として、然る後に君子なり」解説
質とは自分の人徳や会社の実力と言えるでしょう。文とは自分の見た目や会社の見た目などのイメージ。実力があってもイメージが粗野であれば、その実力を発揮する場も見つけられません。逆にイメージ戦略だけが先行し、中身がなければ一時的には流行ってもお客様は離れていくでしょう。
之を知る者は之を好む者に如かず
書き下し文:子曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を樂む者に如かず。
現代文:あることを理解している人は知識があるけれど、そのことを好きな人にはかなわない。あることを好きな人は、それを楽しんでいる人に及ばないものである。
「之を知る者は之を好む者に如かず」解説
これも最も有名な章句の一つ。社長であれば、自分の仕事を知り、好きになっており、楽しんでいる状態であるという人は多いかも知れません。特に業績が好調な時には。では、社員が仕事を楽しむ、という状態になるにはどうすればいいでしょうか。
まず知ると言う段階から考えてみましょう。楽しんでもらう前に、仕事のことをよく知ってもらうことが大切です。たとえば、
- その仕事の意義や意味
- その仕事を上手くやるやり方
- 業界や他社についての知識
- 自社についての知識
こういった知識を徹底的に知らなければ、好きになりようもありません。
次に好きになると言う状態です。好きになるには、
- 仕事自体を好きになる
- 会社が好きになる
- 上司や同僚が好きになる
- 社長が好きになる
といったようないくつかのパターンがあります。仕事は好きだが、上司が嫌で離職するケースもありますからね。全方位的に好きという感情を持ってもらうことが大切になります。
最後に楽しむという状態。仕事を楽しめるようになるには、仕事で成果を出すことです。私の師匠のマイケルE.ガーバー氏は、人は成果を出すことによって動機づけされる、と言っています。そのために必要なのが、普通の人でも仕事で成果が出せるような仕組みを作ることなのです。その仕組みに沿って働くことで成果を出せば、次はもっと大きな成果を出したいと感じ、自然と動機づけされるようになります。これが楽しむという状態に近いでしょう。
道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ
書き下し文:子曰く、道に志し、德に據り、仁に依り、藝に游ぶ。
現代文:正しい道を志し、徳を守り、思いやりの心でよりそい、趣味や教養(芸)を楽しむ余裕がある。
「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ」解説
道と徳については解説不要と思います。最後の芸に遊ぶというのは、今でいえば教養を身に付けよ、ということになるでしょうか。日本電産創業者の永守氏は、ユーモアを大事にし、それで商談が決まったこともあるとおっしゃっており、多くの日本の経営者には、そういったユーモアを生み出す教養がないともおっしゃっています。事業に真剣に取り組みつつも、幅広く学び、教養に親しむことで、他分野から思わぬひらめきがあったりするものです。
之を知らしむ可べからず
書き下し文:子曰く、民は之に由らしむ可し、之を知らしむ可べからず
現代文:人民大衆というものは、政策に従わせておけばよいので、彼らには何も知らせてはならない。(異論有)
「之を知らしむ可べからず」解説
解釈が分かれる章句の代表格です。人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい、だから、彼らに情報を知らせる必要はない、というのが一般的解釈です。孔子や論語は社会の階層構造を重視しているということこともあり、この解釈にも一理あります。
一方、「知らしむべからず」は「知らしてはならぬ」という禁止的な意味ではなく、「事理を説明して聞かせるのは難しいから、むしろ頼らしむる(信頼する)べきだ」という趣旨であるという主張もあります。
ただし、私たちは学者ではないので、解釈の正誤を議論する必要はありません。この章句から自分が受けた気づきを経営に活かせばよいのです。
福沢諭吉の「之を知らしむ可べからず」に関する解釈
ちなみに福沢諭吉は、「学問のすゝめ」の中で、この章句を引用し、以下のように語っています。私もこの意見に賛成です。
- 国の人々は主人と客分に分かれ、主人は智者で国を支配し、客分は何も知らない小民である。この状態では国が不安定である。
- 国の安全は、全ての人が自国を愛し、独立の気風を持ち、国を守ることに貢献することによって達成される。報国の大義は、財産や生命を失っても国のために尽くすことである。
- 政府は国を統治し、人民はその支配を受けるが、重要な決定においては政府だけでなく人民も参加すべきである。国を支えるのは政府だけでなく、国の人々全体の責任でもある。
或る人いわく、「民はこれによらしむべしこれを知らしむべからず、世の中は目くら千人目あき千人なれば、智者上にありて諸民を支配し上の意に従わしめて可なり」と。この議論は孔子様の流儀なれども、その実は大いに非なり。一国中に人を支配するほどの才徳を備うる者は千人のうち一人に過ぎず。 仮りにここに人口百万人の国あらん。このうち千人は智者にして九十九万余の者は無智の小民ならん。智者の才徳をもってこの小民を支配し、あるいは子のごとくして愛し、あるいは羊のごとくして養い、あるいは威しあるいは撫し、恩威ともに行なわれてその向かうところを示すことあらば、小民も識らず知らずして上の命に従い、盗賊、人殺しの沙汰もなく、国内安穏に治まることあるべけれども、もとこの国の人民、主客の二様に分かれ、主人たる者は千人の智者にて、よきように国を支配し、その余の者は悉皆何も知らざる客分なり。すでに客分とあればもとより心配も少なく、ただ主人にのみよりすがりて身に引き受くることなきゆえ、国を患うることも主人のごとくならざるは必然、実に水くさき有様なり。国内のことなればともかくもなれども、いったん外国と戦争などのことあらばその不都合なること思い見るべし。無智無力の小民ら、戈を倒さかしまにすることもなかるべけれども、われわれは客分のことなるゆえ一命を棄つるは過分なりとて逃げ走る者多かるべし。さすればこの国の人口、名は百万人なれども、国を守るの一段に至りてはその人数はなはだ少なく、とても一国の独立は叶かない難きなり。
民信無くば立たず
書き下し文:子貢政を問ふ。子曰く、食を足し、兵を足さば、民に之を信使め矣。子貢曰く、必ず已むを得ずし而去たば、斯の三つの者於て何をか先てむ。曰く、兵を去てむ。曰く、必ず已むを得ずし而去たば、斯の二つの者於て何をか先てむ。曰く、食を去てむ。古より皆死有るも、民信不んば立たず。
現代文:子貢が政治の要諦を尋ねた。孔子「食糧を豊かにし、軍備を強化し、人民に信頼されることだ」。子貢「どれか一つを捨てなければならないとき、どれを捨てますか?」孔子「軍備を捨てる」子貢「残りの二つ、つまり食糧と信頼のどちらかを捨てなければならない場合、どちらを捨てますか?」孔子「もちろん食糧を捨てる。食糧がなければ人は死ぬが、信頼がなければ国家の基盤が立たない。
「民信無くば立たず」解説
これも有名な章句です。孔子と子貢の対話を現代の経営に置き換えると、以下のような意味が込められるでしょう。
- 食糧を豊かにし: 企業や組織においては、社員や関係者に対して必要なリソースや環境を提供し、基本的な経済的な安定を確保することが必要です。これは給与や福利厚生、組織の財務的な安定などを指すかもしれません。マズローの欲求段階説でいうところの、一番下の欲求を満たすということです。
- 軍備を強化し: 競合他社との差別化や市場での強みを築くことが必要です。これは技術革新、パートナーシップ、優れた商品やサービスの提供などを指すかもしれません。
- 人民に信頼されること: 従業員、顧客、株主など関係者からの信頼を得ることです。透明性、倫理的な経営、社会的責任などがこれに該当します。
このうえで、大切な順をいえば、①人民からの信頼、②食糧、③軍備ということになります。
君君たれ
書き下し文:齊の景公政を孔子に問ふ。孔子對へて曰く、君君たれ、臣臣たれ、父父たれ、子子たれ。公曰く、善き哉。信に如し君君たら不、臣臣たら不、父父たら不、子子たら不んば、粟有りと雖も、吾豈得而諸を食はむや。
現代文:斉の景公が先師に政治について問われた。孔子「君は君として、臣は臣として、父は父として、子は子として、それぞれの道をつくす、それだけのことでございます。」景公「善い言葉だ。なるほど君が君らしくなく、臣が臣らしくなく、父が父らしくなく、子が子らしくないとすれば、財政がどんなにゆたかであっても、自分は安んじて食うことは出来ないだろう。
「君君たれ」解説
各人が自らの立場を踏まえ、役割をきっちりととこなすことが国を治めるうえで大事であるという話です。松下幸之助氏は、人それぞれが天分を活かすことこそが、すべての人が幸福に生きることにつながると言っています。これはこの章句をさらに拡大させた人生や経営の要諦と言えるでしょう。
現代ビジネスでこの章句を活かすには、会社組織図の各役職の責任と役割を明確にすることが必要でしょう。。最も大事なのは、社長が社長の仕事を理解し、それをこなすということです。多くの中小企業では、社長が社長の仕事ではなく、一担当者として働いているだけのケースが多いです。しかしそれでは、会社の未来を形作ることが出来ません。
組織図の書き方については、以下の記事で解説しています。
君子は人の美を成して、人の悪を成さず
書き下し文:子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。
現代文:君子は、人に美点や長所があればそれを助けて伸ばしてやり、美点長所が完成するように努める。人に悪い点や欠点があれば、それをいさめたり補ったりして、悪徳が完成しないように努める。一方小人は、その反対のことをする。
「君子は人の美を成して、人の悪を成さず」解説
松下幸之助氏は、部下の長所を褒めて伸ばすのを7割、短所を指摘してなおさせるのを3割くらいの比率で行っていたそうです(人生心得帖)。もともと身体が弱かった松下氏は、人の長所を伸ばして、自分の代わりに働いてもらう達人だったのですね。小人は反対のことを行うとありますが、優秀な人(IQや偏差値が高い人)ほど、自分が一番という意識があるので、自分の地位を脅かそうな人がいると、その人の長所を無くすようなことをし、短所が目立つように仕向ける傾向があるようにも思えます。リーダーの役割は、一プレイヤーとして部下と争うのではなく、部下に活躍してもらって全体の成果を上げることであると認識せねばなりません。
近き者説び、遠き者来る
書き下し文:葉公正を問ふ。子曰く、近き者は說ばせ、遠き者は來す。
現代文:葉公が政治を問うた。孔子「近い者を喜ばせ、遠い者を招き寄せる。
「近き者説び、遠き者来る」解説
これは現代ビジネスにとっても非常に大切な章句と言えます。ここでいう近いものとは、今いる社員や今付き合っていただいている顧客のことです。彼らを満足させることによって、入社希望者が寄ってくるし、紹介されて購入する人も増えるということです。だいたい、うまく行っていない会社、利益が上がらない会社は、新しいことに目が行きがちです。組織内の環境を整えることなく新入社員を採用し、離職者を増やします。これは非常に利益を圧迫する方法です。また、新規顧客の獲得ばかりに目がいき、既存顧客からの利益を見逃すと広告費が嵩むばかりです。(参考:顧客生涯価値)
和して同ぜず
書き下し文:子曰く、君子は和して同せず、小人は同して和せず。
現代文:優れた人物は、人と協調するが主体性を失わず、小人物は、表面では同調するが心から親しくなることはない。
「和して同ぜず」解説
これも最も有名で、現在でも良く引用される章句です。協調性を持ちつつも、自分の主義や価値観を曲げず、小人と同じように同調することはないと解釈されます。経営者は、メンバー間で真摯な対話を奨励し、意見の多様性を受け入れながらも、組織の目標に向けて進む方向性を確立する役割を果たすべきです。取引先や顧客に対しても同じです。言われた通りに阿る(おもねる)だけでは、相手からの真の信頼や尊敬も得ることが出来ません。
遠き慮りなければ必ず近き憂いあり
書き下し文:子曰く、人遠慮なければ、必ず近憂あり。
現代文:遠い将来のことまで考えずに目先のことばかり考えていると、近いうちに必ず困ったことが起こる。
「遠き慮りなければ必ず近き憂いあり」解説
経営においてまさに当てはまる言葉。遠い将来のことを考える、すなわち会社のビジョンを考えるということです。ビジョンがなければ目の前のことで問題が起こります。「小計が大計を駆逐する」という私が考えた言葉があります。「小さな計画が、描くべき大きな計画を駆逐する」という意味です。たとえば、日々の仕事の中で、5年後を考えて事業の計画(大計)に取り組まないといけないのに、目の前の顧客のためのプロジェクト(小計)に終われていて、大計が出来ない、ということです。ビジョンの大切さはほとんどのリーダーが認識しているものの、忙しくてビジョンを考える時間がない、と言い訳します。しかし、本当は「忙しいからビジョンが描けないのではなく、ビジョンが描けないから忙しい」ということなのです。
”忙しくて小計しか出来ない人”は、目指すべき方向が決まっていないので、忙しいだけで、1年後も同じ地点にとどまっています。これは私たちの経験から言っても、すごくよくわかります。仕組み化に取り組もうと思っても、具体的なビジョンが決まっていないと、日々の仕事に追われて何も進まない人が多いのです。一方のビジョンが明確な人は、日々忙しいながらも、仕組み化を意識して着実に前に進んでいくことが出来ます。
まとめ:良い人格が良い会社を創る
以上、論語の中から特に経営者向けに役立ちそうなものをピックアップしてみました。まだまだ選び足りないですが、それらはまたの機会に。なお、仕組み経営では、良い人格が良い仕組みを作り、良い仕組みが良い会社を創る、という哲学のもと、会社の仕組みづくりをご支援しております。論語で人格を高め、良い仕組みづくりに取り組みたい方は、以下から仕組み化ガイドブックをダウンロードしてご覧ください。